日常生活との一致 三位一体の主日(ヨハネ3・16~18)

「三位一体」と聞けば、「御父、御子、聖霊とは何ぞや」と、難しい教義、命題を想像しがちです。しかし、毎日の祈りの初めに「父と子と聖霊のみ名によって」と、十字を切るたびに唱えている祈りとして考えるなら、ふだんの生活に密着した祈りだと感じるのではないでしょうか。一体、一日のうちで何回くらいこの祈りを唱えているでしょうか。

私が住んでいる四谷修道院では、一日は「教会の祈り」の「朝の祈り」から始まります。まず「初めの祈り」の中で栄唱が出てきて、最後のところで「栄光は父と子と聖霊に」と唱えます。また第一唱和、第二唱和、第三唱和でも、最後の栄唱では同様な祈りがあり、答唱、福音の歌でも栄唱があります。さらにミサになると「父と子と聖霊のみ名によって」と司祭が唱えることばから始まります。こうして考えてみると、三位一体への祈りは、一日のうちに相当な数になります。朝だけでも二十回くらいに…。これだけ唱えるのに、私も含めて、三位一体のことを意識している機会が少ないかもしれません。

今日のみことばで「実に、神は独り子をお与えになるほど、この世を愛された」(ヨハ3・16)とあります。父である神が独り子イエスを私たちの世界に派遣したことを語るものです。御父がこの世界をいかに愛されたかがよく分かる言葉ではないでしょうか。さらに「独り子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命を得るためである」(ヨハ3・16)と語ります。どんなに罪深い私たちではあっても、救いへと招かれています。私たちの人間の世界では、人を裁くことに心が向いて、救うことには興味が薄いかもしれません。事実、イエスご自身は十字架上での死をもって、私たちを救うためにご自身をおささげになりました。そこには最高の愛が示されています。それは御父ご自身の、この世界への深い配慮にもよるものです。

三位一体は難しい教義ですが、身近な生活でのポイントでとらえていくと、分かりやすいのかもしれません。

あなたにオススメ