25. 基礎固めの年――福者ジャッカルド神父の生涯

アルベリオーネ神父は、1920年の1月に、この年を「基礎固めの年」と決めたが、これ以前から、以外にもイタリア全土より染みが続々と入会し、この年には約80人ほどになっていた。今までの修道院と印刷学校の規模では、とても収容しきれない段階にきていた。しかし、そうはいっても持ち合わせの金がない、それでもアルベリオーネ神父はくじけない。「信仰を待たなければなりませんよ! 神のみ業に先立つのはお金ではなく、お祈りと神への信頼ですよ……。先立つものが金とは、おめでたいですよ」ともらすのであった。

やがて、アルベリオーネ神父やジャッカルド神父や若者たちの信仰が報いられる時がきた。この年の1月に、アルバ郊外の線路の近くにあった広い土地の一部を手に入れたのである。5万平方メートル(約1万5千坪)もあるキャベツ畑と貧しい町の一部である。ジャッカルド神父と若者たちは、隣の土地も購入したいというアルベリオーネ神父の意向を知って、境界線の生け垣の根本に聖母のメダイと聖ヨセフのメダイをそれぞれ埋め込み、購入できるようにと祈った。すると、売りしぶっていた地主も、とうとう折れて、隣接地を売った。若者たちは、新しい境界線にも二つのメダイを埋め、次の隣接地が購入できますようにと祈った。こういうことを七回繰り返して、現在の母院の敷地へと広げていったのである。

ずっと後になって、アルベリオーネ神父は、ある晩の訓話の中で,当時の不思議な体験を打ち明けた。「現在、聖パウロ会の院と聖堂の建っている土地を初めて調べに行った時に、不思議にも、一瞬意識を失いました。まさにその時、現在人の目に写る建物とそっくりの建造物全体が見えてきました」と。

この年の6月30日、ジャッカルド神父は誓願を更新する際に、アルベリオーネ神父に相談して、自分の修道名をティモテオに変更した。

このことについて「まえがき」のところで述べたので省略する。そこで以後はティモテオ神父という名前に統一したい。

この年のある日のこと。ピサの大司教区長のピエトロ・マッフィ枢機卿はアルベリオーネ神父と面会したが、その時の話の中で次ように述べた。「私はいつもあなたの事業を注目していました。あなたの事業は神のみ旨によるものです。教会には、出版と著述を行う修道会が必要です。かって農耕と筆写に従事したベネディクト会士と同じように……。もし今、私が20歳だったら、このような修道会を創立しようとするか、それともあなたの修道会に入会させてもらいたいところでしょう」と。

・池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年

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