道・真理・いのち 復活節第5主日(ヨハネ14・1~12)

この箇所はイエスにとって晩年の部分です。イエス自身、十字架を担い、十字架上で死が待ち受けていることはよく分かっていました。トマスがイエスに「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちには分かりません。どうすればその道を知ることができるでしょうか」(ヨハ14・5)と尋ね、イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハ14・6)と答えます。イエスが誰であるか、死を前にして明確に答えていく箇所です。

イエスにとっての道は十字架の道であり、復活に至る道です。またイエスの語ることは偽善的なものがなく、真実そのものであり、真理に根差したものです。またイエスは病気の人、差別で苦しむ人を癒やす方で、あらゆる人に命の喜びをもたらしてくれる方です。

フランシスコ会訳聖書の訳注に、「人となったみことばであるイエスは、人間を父である神に導く『道』であり、イエスは『真理』である教えを説き、真の『命』を与えることによって、人間を父と一致させる。みことばとして、神と一体のイエスは、神の真理そのものであり、同時に命そのものでもある」と記されています。道、真理、いのちの意味がよく伝わってきます。

東日本大震災から9年が過ぎました。復興が遅れていることに気づきます。七回くらい、被災地へ行ったことがありますが、7年前の8月に大槌の仮設住宅を訪問したことが忘れられません。仮設住宅の中では、隣の物音が聞こえたり、交通手段が悪い所ですが、満足していらっしゃる方もあれば、不満を感じていらっしゃる方もいました。やがて復興住宅が完成し、移る時期が来るそうですが、それを望んでいらっしゃらない方もいました。それはこれまで不自由ではありながらも、仮設住宅で苦労を共にし、悩みや不安を分かち合って、解消してきただけに、友情が深まっているのです。この時期にきて、復興住宅へ移れば、建物は確かにきれいだけど、住むにはどうかなあと感じているようでした。便利ではあっても、今までの絆が失われていくのは、とても寂しいものだと思いました。

「道・真理・いのち」の絆を考えさせる状況が、日本のあちこちに存在しています。

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