私は羊であり、羊飼いという種 復活節第4主日(ヨハネ10・1〜10)

きょうの典礼である「復活節第4主日」は、「世界召命祈願日」でもあります。イエス様は、私たち一人ひとりにどのような【召命】の招きの声をかけてくださっているのでしょうか。いつも「良い耳」を準備することができたらいいですね。

きょうのみことばは、「羊と羊飼いの喩え」から始まっています。イエス様は、この節に入る前に、生まれながらの1人の盲人を見えるようにされたことで、ファリサイ派の人たちから批判を受けています。イエス様は、きょうのみことばのはじめに【これから大切なことを伝えますよ】という意味で使われる「よくよくあなた方に言っておく。」という言葉と話された後に、「羊の囲いの中に門から入らず、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり強盗である。」と言われます。イエス様は、ファリサイ派の人々のことを喩えで語られながら人々に対して注意をしなさいと促されているのでしょう。

パレスチナ地方に限らず牧羊を主にしている人たちにとって羊は、財産と同じです。彼らは、羊を外敵から守るために人の背丈ぐらいの石垣を作り、一つの出入口から羊の出し入れをしていたようです。イエス様の喩えのようにその囲いを乗り越えて中の羊を盗む人がいたのでしょう。ですから、羊飼いたちは何組かが共同で自分たちの羊を入れる囲いを設け、門には門番を置いて外部からの侵入者を見張っていたのではないでしょうか。イエス様は、門から入る人は、【羊飼いである】と言われます。門番は、羊飼いたちを知っているので彼らに門を開いたのでしょう。羊飼いは、自分の羊の名を呼び、その声を聞き分けてついてきた羊を門から連れ出していきます。

この箇所で私たちは、羊飼いであるイエス様についていく1匹の羊であると同時に、羊飼いとしての使命をいただいていると言ってもいいのではないでしょうか。羊飼いであるイエス様は、自分の羊をそれぞれの名を呼んで連れ出されます。聖書の中で【名】は、私たちが「誰々さん」という名前だけではなくその人の人格全てを表しています。ですから、イエス様が羊をそれぞれの名を呼ぶというのは、羊である私たちの良い所もそうでない所も全てをご存知の上で呼ばれているということなのです。私たちの【召命】は、司祭、修道者だけではなく、結婚の召命も含めてその人の全てをご存知になられたイエス様が導いてくださったと言うことができるのではないでしょうか。

次に、私たちが【羊飼い】としての使命をいただいている場合としてみことばを見てみましょう。この時、門番は、イエス様と言ってもいいのではないでしょうか。パウロが「わたしたちはみな、……キリストのうちに満ちているもので満たされて、その背丈にまで達するようになるのです。……あらゆる面で頭であるキリストに向かって大きく成長していきます。」(エフェソ4・13〜15)と言っていますように、羊飼いである私たちは、洗礼の恵みを受け、みことばと聖体を通してイエス様をいただいています。私たちがイエス様で満たされているのですから、門番であるイエス様は、ご自分と同じ姿をした羊飼いに門を開いて囲いの中に入れてくださるのではないでしょうか。私たちは、羊飼いとしてイエス様のことを人々に伝えると言う【召命】もいただいていると言ってもいいでしょう。

ヨハネ福音書でイエス様は、ご自分のことをたびたび「わたしは○○である」として表しています。この「わたしは○○である」と言うその喩えは、人々にとって身近な言葉として受け入れることができたのではないでしょうか。例えば、「わたしが命のパンである」(6・34)「わたしは世の光である」(8・12)「わたしは善い羊飼いである」(9・11)「わたしは道であり、真理であり、命である」(14・6)など他にもご自分のことを「わたしは○○である」と言われています。きょうのみことばでは、「わたしは羊の門である」と言われています。門であるイエス様は、囲いの中の羊を開放し、また、帰ってきた羊を守ってくださいます。

イエス様は、「わたしより先に来た者はみな、盗人であり強盗である。……盗人が来るのは、盗み、殺し、滅ぼすためにほかならない。」と言われ、その前の節では、ファリサイ派の人々に対して「盗人であり強盗である」と言われています。マタイ福音書でイエス様が「律法学者はファリサイ派の人々、あなた方偽善者は不幸だ。あなた方は人々の面前で天の国を閉ざして、自分が入らないばかりか、入ろうとする人も入らせない。」(マタイ23・13)と言われているように、彼らは、イエス様の羊の命を狙う盗人なのです。盗人は、羊である私たちの【召命】の芽を摘む妨害者とも考えられるのではないでしょうか。

イエス様は、門として羊である私たちを守られ、豊かな命を与えてくださいます。私たちの【召命】は、時々不安や他の誘惑という盗人からの妨害によって揺らぐことがあります。私たちは、イエス様から声をかけられて与えられた【召命】を見出すとともに育み、また、門であるイエス様に守られていることに信頼し、感謝しながら毎日を歩んでゆく事ができたらいいですね。

あなたにオススメ