気づくチャンス 復活節第3主日(ルカ24・13~35)

6年前の3月19日に修道誓願60周年・50周年・25周年、司祭叙階50周年のお祝いがイグナチオ教会で行われ、7名の会員が喜びを共にしました。教会でのミサ後、近くのホールで祝賀会が行われ、パウロ家族の会員たちをはじめ、お祝いされる方々の親族が多数出席しました。出席者の中に、「見たことはあるけれど、だれだったかなあ」と思い出せない方がいました。声をかけるにも失礼な気がするし…。そうこうしているうちに、一人の司祭に「あの人はだれだか知っていますか?」と尋ねたら、「うちの志願者だったAさんのお母さんだよ」と言われ、ハッと思い出しました。約30年ぶりだったので、その方に挨拶しようと思ったけれど、祝賀会も終わりのほうで結局、挨拶することができませんでした。でもほんのちょっとしたことで、私たちはハッと思い出すものです。

さて今日のみことばで、イエスと二人の旅人がエルサレムからエマオまでの60スタディオンを旅します。距離としては、約11キロです。のんびり話しながら歩いたとしても、約3時間の歩程になるでしょう。復活したイエスが「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたってご自分について書かれていることを、二人に説明された」(ルカ24・27)とのことですから、今で言えばカテケジスのような内容にもなったことでしょう。やがて村に着き、「イエスはパンを取り、賛美をささげて、それを裂いて、二人にお渡しになった。すると二人の目が開かれ、イエスであることに気づいたが、その姿は見えなくなった」(ルカ24・30~31)と。それまでイエスからいろいろな話を聞いていたにもかかわらず、イエスだとは気付かなかったのです。どこかで見たことはあるけれど、だれだったか思い出せないように…。

キリストと出会うチャンスは私たちにも数多くあるものです。それに気づかない時が多いのかもしれません。気づかなくてもイエスは私たちにたくさんの恵みを与え、共に歩んでくださっています。

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