信じる者になる 復活節第2主日(ヨハネ20・19~31)

「百聞は一見にしかず」という言葉があります。英語では「見ることは聞くこと」という表現になるでしょうか。人は自分の目でしっかり見て確認しないと、信じることがなかなか難しいかもしれません。

毎年、日本百名山のどこかに登ってみたいと思い、その度に山の地図を広げています。ある年、中央アルプスの空木岳(うつぎだけ)という山に登った時のことです。地図で見るとなだらかな山のように見え、「なんだ、たいした登りではないなあ」と思っていたら、実際に登ってみると急登があったり、鎖場の危険な場所があったりしました。簡単なように見えて、けっこう厳しい山で、頂上近くにある山小屋に着いた時には本当にほっとしました。特に相棒の友人はバテバテで、頂上まで本当に辿り着くことができるのかなあと心配するほどでした。地図では簡単に見えても、実際の感覚をつかむというのは難しいものです。

今日のみことばで、トマスが「わたしはその手に釘の跡を見、自分の指をその釘の跡に入れてみなければ、また、自分の手をその脇腹に入れてみなければ、決して信じない」(ヨハ20・25)と語ります。トマスにとってみれば、他の弟子たちはイエスの復活を理解しているのに、自分だけが取り残されたような気分で、イエスの復活が信じられませんでした。自分がそのような状況に立たされると、同じような言葉を発するかもしれません。トマスのこうした語りが、イエスの復活をもっと確固としたものにしてくれます。

またトマスは「指を入れ」「手を入れ」と言いますが、イエスの実際の姿を見たならば、そうしなくても信じる気持になったのではないでしょうか。トマスの素朴な疑問は、私たちの不信仰を信仰へと変えていく大切な機会でもあったように感じます。

イエスのことについて信じられないことも人生の中にはあるでしょう。でもトマスが体験し、目で見たことは、空想の世界を超えた確かなものを私たちに提供してくれます。

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