イエスへの侮辱・嘲笑 受難の主日(マタイ27・11~54)

「受難の主日」は、イエスの十字架がどんなに重いものかを深く考えることができる時です。イエスにとっての十字架は、イエスを押しつぶす物質的な重さだけではなく、精神的な苦痛が大きな負担として感じられたことも確かです。今日のみことばから振り返ってみましょう。

まず評判の囚人であったバラバ・イエスが釈放され、その代わりに罪のないイエスが十字架を担うように強要されます。囚人よりもイエスが低い立場に置かれた時でした。人々もまたイエスに対して「十字架につけろ」と罵声を浴びせます。イエスにとっては、どんなに精神的苦痛が感じられたことでしょうか。さらに「イエスの着ている物をはぎ取って、赤いマントを着せ、茨で冠を編み、頭にかぶせ、また右手に葦の棒を持たせて、彼の前にひざまずき、『ユダヤ人の王さま、万歳』と言って、なぶりものにした。さらに、イエスにつばを吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭を打った」(マタ27・29~30)と。赤いマントは、イエスを王に見たてるための軽蔑的なものであったし、彼の前にひざまずくのは敬意よりも嘲りが込められています。またつばを吐くのは、これまた軽蔑的です。王冠ではなく茨の冠であるのは、イエス自身が苦痛と軽蔑を味わった象徴が、よく見えてきます。

また十字架につけられたイエスを見て「通りがかった人々は、頭を振りながらイエスを冒涜」(マタ27・39)します。さらに「もし神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」(マタ27・40)と執拗に侮辱し、ののしります。こうした軽蔑的なことばやしぐさを数え上げていくと、通常の人間ではとても耐えられないのではないでしょうか。

イエスの十字架には、身体的・精神的苦痛が数多く見られます。こうした十字架には、人類に対するイエスの深い贖いが見えてきます。

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