目の不自由さ 四旬節第4主日(ヨハネ9・1~41)

人間の感覚にとって、目は80%を占めると言われます。目が不自由だと、いろいろなところに支障をきたすものです。私の同じ修道院の共同体に、片方の眼が白内障の会員がいますが、段差がとても怖いとのことでした。奥行の感覚がなくなって、見た目は普通の人と変わらないのですが、片方の眼がほとんど見えません。「よく見えるようになるため、手術をしたら」というのですが、病院や入院が大嫌いで、いまだに実現していません。目が不自由なだけに、生活での困難さがあります。

さて今日のみことばで、生まれつきの盲人が癒やされますが、その治療の仕方も、「地面につばを吐き、そのつばで泥を作って、その人の目にお塗りになった」(ヨハ9・6)と。それによって目が癒やされます。

つばを吐く、泥を塗るとはどんな意味があるでしょうか? 私たちにとってつばを吐くのは軽蔑的な行為だし、「天を仰いで唾(つばき)をする」とは、「人をおとし入れようとしてかえって自分が損をするたとえ」です。また最近、大阪市の路上で起こった事件ですが、ある会社員の男性が八歳の女児に唾を吐きかけ、暴行容疑で警察に逮捕されました。男性は「ストレスのはけ口にした」と供述し、特別に殴ってはいなくても、こうした行為が暴行容疑になりました。唾を吐くのは不謹慎なものでしょう。また目ではなくても、「顔に泥を塗る」というのは、決してよい意味ではありません。それは「面目を失わせること」「ある人の名誉を傷つけて、恥をかかせる」という意味があります。「親の顔に泥を塗ることは、絶対してはいけない」という用例があるほどです。

唾を吐いて、泥を作り、それを目に塗るのは何とも奇妙な光景に見えますが、癒やされるために、イエスのことばを素直に受け入れ、私たち自身が底辺の立場に立つ大切さを教えてくれます。

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