「サタンよ。退け」という種 四旬節第1主日(マタイ4・1〜11)

私の父は、四旬節になるとタバコを吸うのをやめていました。私が小さい頃は、この期間は、タバコを吸ってならない時なのだ、と勝手に思っていたのですが、「四旬節のお捧げ」と思うようになって、父の禁煙をすごいなと思うようになりました。

きょうのみことばは、イエス様が荒れ野で悪魔から試みに遭う場面です。イエス様は、洗礼を受けた後「霊に導かれて荒れ野に」行かれます。みことばには、「それは悪魔によって試みられるためであった」とあります。この最初の1節は、大変不思議な気がいたします。神の子であるイエス様がわざわざ「悪魔から試みられるために荒れ野に行かなければならないのか。それだけではなく、なぜ霊が導いたのか」と思うのではないでしょうか。これは、イエス様の“いつくしみの愛”とともにおん父への忠実さであり、全てがおん父のみ旨ということではないでしょうか。イエス様は、パウロが言うように「キリストは神の身でありながら、……その姿はまさに人間であり」(フィリピ2・6〜7)、神の子であるとともに全く人間となられました。イエス様は、罪を犯されませんでしたが、私たちと同じように誘惑にも遭われ、その苦しみをご存知なのです。

最初の誘惑は、「石をパンに変える」と言うものでした。これは、私たちの【欲求】への誘惑と言ってもいいのかも知れません。私たちは、生きるために様々な【欲求】が必要です。しかし、自分の楽しみのために神に祈ると言う事はおかしな考えです。イエス様は、悪魔のこの誘惑に「神の口から出るすべての言葉によって生きる」と答えられます。私たちは自己の欲求をコントロールする必要があります。私たちがよく耳を澄ます時、おん父からのサインが聞こえてくるのではないでしょうか。おん父の言葉は、私たちを生かすものです。おん父は、私たちがどのように歩むべきか、どうすれば天の国に入ることができるのかを、いろいろな機会や手段を使って私たちにお示しになられます。まず、みことばを味わうことから始めるのもいいかも知れません。

次の悪魔の誘惑は、おん父への不信を抱かせることでした。悪魔は、イエス様を聖なる都に連れていき、神殿の頂(いただき)に立たせて、「もしあなたが神の子なら、ここから身を投げさない。『神はあなたのためにみ使いたちに命じ、……』」と誘惑します。イエス様は、悪魔に「あなたの神、主を試みてはならない」と答えられます。この当時、ローマからの圧政があり、一部の貴族、宗教的なリーダーを除いての一般的な市民は、苦しい生活を強いられていたようです。人々は、おん父が約束された【救い主メシア】を待ち望んでいました。しかし、「本当にメシアは来るのか」、「神はいるのか」と言う疑う人も出てきていたのではないでしょうか。まさに悪魔のこの誘惑は、人々に「神などいない。もし、いるとしたらこのような苦しみからすぐにでも救ってくれるはずだ」と投げかけているのかも知れません。イエス様は、そのような悪魔に対して、「あなたの神、主を試みてはならない」と答えられたのです。この誘惑は、私たちに主への信頼、信仰が問われているのではないでしょうか。

最後の誘惑は、「わたしをひれ伏して、わたしを礼拝するなら、これらのものをすべてあなたに与えよう」と言う【悪魔礼拝】でした。イエス様は、これに対して「あなたの神、主を礼拝し、ただ主のみに仕えよ」と答えられます。さて、この誘惑は、私たちに対しても危険な誘惑と言ってもいいかも知れません。創世記の中で、蛇は女に「いや、あなた方は死にはしない。それを食べると、あなた方の目は開かれて善悪を知り、神のようになることを、神は知っているのだ」(創世記3・4〜5)と言います。悪魔は、神のようになりたいという彼女の【欲】をうまく利用し、自分を礼拝するように仕向けているではないでしょうか。

今の私たちの周りを見回してみると、別に神様がいなくても幸せになるものは、たくさんありますし、A Iやインターネットで必要なものは手に入ります。財産があれば、裕福な暮らしもできますし、何だってできると思えます。しかし、それらの影には、悪魔の誘惑があるのではないでしょうか。悪魔の誘惑は、イエス様に「すべての国々とその【栄華】を見せて……【わたしを礼拝するなら】……与えよう」、と言っています。私たちの心はどこに向かっているのでしょう、また、何を大切にしているのでしょうか。振り返ってみる機会かも知れません。

イエス様への悪魔の誘惑は、「もしあなたが神の子なら」と言うものでした。この言葉は、イエス様が十字架にかけられたときにも「もし神の子なら、自分を救ってみろ」(マタイ27・40)とあります。イエス様は、宣教を始める時と、その使命を終える時に同じように誘惑に遭われます。私たちにも「もしあなたが○○なら、できるでしょう」という誘惑は、たびたびあるかも知れません。これは、私たちの虚栄心をくすぐるものです。イエス様は、悪魔の誘惑に対してキッパリと「サタンよ。退け」と答えられます。私たちは、悪魔の狡猾な誘惑に陥りやすく弱いものです。ですから、私たちは、謙虚な心を持って「サタンよ。退け」ということができるように、イエス様に祈ることができたらいいですね。

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