だまされる 四旬節第1主日(マタイ4・1~11)

今日は四旬節第一日曜日。「四旬節は、復活の祭儀を準備するために設けられている。四旬節の典礼によって、洗礼志願者はキリスト教入信の諸段階を通して、また、信者はすでに受けた洗礼の記念と償いのわざを通して、過越の神秘の祭儀に備えるのである。四旬節は、灰の水曜日に始まり、主の晩餐の夕べのミサの前まで続く」(『ミサ典礼書の総則と典礼歴年の一般原則』27、28番参照)とあるように、主の復活を準備していきます。

イエスは荒れ野で試みを受けます。しかも40日40夜断食した後だけに、相当空腹だったことでしょう。第一の誘惑は、「石がパンになるように命じなさい」と。明らかに人間的な弱さをねらったものです。それに対してイエスは、「人はパンだけで生きるのではない。神の口から出るすべての言葉によって生きる」(マタ4・4)と語り、みことばの味わいを大切にします。

第二の誘惑は、「もしあなたが神の子なら、ここから身を投げなさい。『神はあなたのためにみ使いたちに命じ、あなたの足が石に打ちあたらないよう、手であなたを支える』」(マタ4・6)と。誘惑やだましで思い出すのは、創世記のアダムとエワの話です。「人は答えた、『わたしの連れ合いとしてくださったあの女が木から取ってくれたので、わたしは食べました』」(創3・12)と。決して自分が悪いのではなく、あの女が悪くて、私はだまされたのだと言い張ります。「そこで神である主は女に仰せになった、『お前は何ということをしたのか』。女は答えた、『蛇がわたしを惑わしたので、食べました』」(創3・13)と。女もまた、自分が悪いのではなく、蛇が誘惑し、だましたと語ります。これに似た誘惑やだましを、イエスは超越していきます。

第三の誘惑は、「もしあなたがひれ伏して、わたしを礼拝するなら、これらのものをすべてあなたに与えよう」(マタ4・9)と語ります。悪魔はこの世の力と栄華を見せ、偽りの神を拝むように迫ります。それに対してイエスは「あなたの神、主を礼拝し、主を拝み、ただ主のみ仕えよ」と語ります。本当の神、救い主はだれかを問いかけます。

私たちも人生の中でいろいろな誘惑があるものです。今日のみことばは、それをどのように乗り越えていくかの秘訣を教えてくれます。

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