13. 前のことに向かって――福者ジャッカルド神父の生涯

ピノトゥは、1915年(大正4年)6月、19歳の時に、リチェオ課程3年を卒業したが、その一ヵ月前の聖母月に、彼は、聖母への信心をいっそう前進させる動機づけを受けていた。というのは、アルベリオーネ神父が、聖母月の間、神学生たちに、グリョン・ドゥ・モンフォール(Grignion de Montfort)の精神にそった、聖母への真の信心に関する24回の連続黙想をしていたからである。この黙想が、次の一大決心へとつながっていくことになる。

同年10月、ピノトゥは アルバ神学校の最終段階である4年間の神学課程に進学した。教会や社会の現実を視野に入れていた彼は、この課程の間も、共同生活の中で隣人とよくつき合い、聖体訪問によってイエスと親しく交わり、祈り・黙想・良心の糾明を几帳面に行い、ゆるしの秘跡や霊的指導を熱心に受けた。聖パウロにならって、「キリストに生きる」いわば「キリストの分身になる」という大目標に向かって、まっしぐらに進んでいたのである。このころのピノトゥの手帳には、聖母マリアへ自己を完全に奉献するという一大決心、「英雄的な愛徳の祈り」が書き記されている。

もっとも聖なるマリア様、煉獄の霊魂たちのために、この「英雄的な愛徳の祈り」をあなたにささげます。多くの霊魂たちが、(神を)礼拝し、私のためにも、教会のためにも祈っていますが、この霊魂たちが天国に入ることを、私は切に望んでいます。私としては、神の憐れみに頼るほかありません。こうして私は、より本物の司祭になれますし、煉獄の霊魂たちに数多くの祈りをささげることができます。私のおん母であり、女王であるお方、よろしくお願いいたします。

また、このころピノトゥの糾明帳には内心の戦いの勝利と敗北が克明に記述されており、彼の向上心が非常につよいものであったことがわかる。当時、ピノトゥは哲学や神学の成績もよく、教師からも学生からも一目置かれて、神学生指導の助手の役を委託されていた。したがって、それを自慢したいという誘惑もあったし、ねたまれやすい立場にもあった。それで、彼はなるべく目立たないように努め、言動も謙虚に振る舞った。その際、神に対しても、隣人の際しても、自身に対しても謙虚であるために、必要に応じて次の射祷を唱えた。「イエス様、私を助けてください。あなたに頼りにしています。聖なる者になりたいのです。あなたの分身にならせてください!」(1916年11月)と。ピノトゥについて、指導者アルベリオーネ神父は、次のように証言している。

哲学・神学課程で、彼は確かにもっとも優秀でした。成績はいつもトップであったし、同級生の間では相変わらず細心の注意を要する役を任されていました。指導者には心を打ち明け、従順そのものであり、聖なる会話を助長し、皆を感化していました。

・池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年

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