イエス様の掟という種 年間第6主日(マタイ5・17〜37)

私たちの社会には、交通ルールやスポーツでのルールなど様々なルールがあります。このルールは私たちが安全に、また規律正しく生活するために定められたものです。もちろん、教会の中でも『十戒』や『教会の5つの掟』というものがあります。もう一度、私たちの周りにあるルールを振り返って見るのもいいかもしれません。

きょうのみことばは、『山上の説教』の続きが読まれていて、生活の中で起こる【掟】を深く掘り下げることの大切さを伝えているようです。イエス様の最初の言葉は、「あなた方は、わたしが律法や預言者たちを廃止するために来たのだと思ってはならない。廃止するためではなく、成就するために来たのだ。」と言われています。イエス様の周りに集まってきた人々は、幼い頃から律法を学び、その教えを守っていました。その中にあって、イエス様の教えは、律法学者やファリサイ派の人々が教えている【掟】との違和感を覚えたのではないでしょうか。イエス様の『山上の説教』の最後には、「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。それは、自分たちの律法学者のようにではなく、権威ある者のように教えられたからである」(マタイ7・28)とあります。ですから、人々は、イエス様が律法を廃止するために来たのではないか、と疑問を持っていたのかもしれませ。それでイエス様は、最初に「律法を成就するために来た」と言われたのではないでしょうか。

確かに、「律法」や「預言者」というのは、聖書全体を指す言葉ですし、聖書は、おん父が罪を犯した「アダムとエバ」が代表する人類を再び救うために「救い主」を遣わすということを書かれたものです。そのような意味で、イエス様は聖書に書かれた全てを【成就】するために来られたと言われたのでしょう。さらにイエス様は、「しかし掟を行い、それを教える者は、天の国で偉大な者と呼ばれる」と言われます。これは、「私自身が律法を成就するために来たように、あなた方もそれらの【掟】を行い、それを教えることで『天の国で偉大な者と呼ばれる』のですよ」と人々に伝えようとしたからではないでしょうか。

イエス様は、「律法学者やファリサイ派の人々の義に勝るものでなければ、あなた方は決して天の国に入ることはできない」と言われます。イエス様は、なぜ「律法学者やファリサイ派の人々の義」と言われたのではないでしょうか。それは、彼らの教えと行いが解離されていたからと言ってもいいでしょう。イエス様は「律法学者やファリサイ派の人々、あなた方偽善者は不幸だ。あなた方は人々の面前で天の国を閉ざして、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも入らせない。……蝮の子らよ。どうしてあなた方は地獄の刑罰から逃れることができようか。」(マタイ23・33)と彼らを厳しく指摘しておられます。

では、どのような人が「天の国」に入ることができるのでしょう。イエス様は、『山上の説教』の最後に「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな、天の国に入るのではない。天におられるわたしの父のみ旨を行う者だけが入るのである」(マタイ7・21)と言われています。イエス様は、『山上の説教』でおん父のみ旨とは一体どのような事なのかということを教えられているのではないでしょうか。

きょうのみことばでイエス様は、「殺人」から始まって「誓い」について話されます。これらの掟は、『十戒』に書かれてある部分です。イエス様は教えられる前に、「あなた方も聞いている通り、昔の人々は、『○○』と命じている。しかし、わたしはあなた方に言っておく」と言われます。イエス様が「昔の人々が命じている」と言われたのは、律法学者やファリサ派の人が教えてきたことを言っておられるのでしょう。しかし、イエス様は、「おん父のみ旨は、そうではなく『しかし、わたしはあなた方に言っておく』と言われた後のことなのですよ」と人々に言われているのではないでしょうか。イエス様は、掟の文面だけではなく、その後ろにある深いところまで掘り下げなさい、と言われているような気がいたします。イエス様は、これらの「殺してはならない」から始まる【掟】は、『十戒』を守らず罪を犯してしまう傾きの全てを指摘しているのではないでしょうか。例えば、兄弟に対して「ばか者」と言うことでそれが憎悪となり殺人まで行ってしまう危険性があるということを教えているようです。また、情欲を抱いて女を見る者は誰でも、心の中ですでに姦淫の罪を犯したことになる、と言うのもそれだけでは済まなくなる危険性があることを指摘しています。最後には、偽証をするとき、嘘が嘘を呼ぶように取り返しのない罪となったり、周りを傷つけたり、苦しみ、おん父への冒涜にまで行ってしまうことを言っているのではないでしょうか。

私たちは、罪への傾きに対して本当に弱い者です。ほんの些細なことから大きな罪に発展することもあることでしょう。イエス様は、私たちが「罪を犯さないように」と愛を持って教えてくださっておられます。私たちは、謙遜な気持ちで自分の傾きを見つめながら罪の危険から遠ざかることができたらいいですね。

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