初誓願と司祭叙階 年間第6主日(マタイ5・17~37)

この季節になると、あちこちで誓願式や司祭叙階式などが行われたりします。それに参加すると、自分自身の初誓願や司祭叙階式のことが思い出され、また新たな気持ちに駆り立てられるものです。

今日のみことばでイエスは、「昔の人は、『偽りの誓いをしてはならない。誓ったことは主に対して果たさなければならない』と命じられていた。しかし、わたしはあなた方に言っておく。決して誓ってはならない」(マタ5・33~34)と語ります。修道誓願や司祭叙階などの時、誓いをしていきますが、こうしたことを禁じているようにも響いてきます。イエスはここで、誓いを禁じたのではなく、当時の人々がやたらと誓いを立て、神を汚していたので、これを厳しく禁じたことにあります。誓いはすべて神の権威に関係するものであり、神の前で虚偽は成り立たないものです。

そもそも「誓い」とは何でしょうか。ある「漢和辞典」には、「言と、音を表し同時にとりきめる」の意味があり、「ことばで違わないように約束する」と記されています。つまり、心からのものを自分の言葉で表現し、それに対してしっかりと約束することにあるのでしょう。ギリシア語では「ホルコス」。これは元来「誓いの際に手にする棒」を表すものです。すなわち、「神を真理の証人として呼び出すことにより、人間の言葉を保証すること」です。

「誓い」というと、私の修道会の誓願文は次のようになっています。「わたし○○○○は、神のほまれのため、わたし自身をいっそう心の底から神にささげ、全生涯にわたり、より近くから師キリストに従うという堅固な意志に動かされ(中略)使徒聖パウロ修道会の会憲に従い、共同生活において(一年、終生の)貞潔、清貧、従順、ならびに使徒職に関しては教皇への忠誠の誓願を立てます」(123条)と。

初誓願や司祭叙階など、真の誓いの中に、自分の内面からあふれ出るものを感じとることができます。

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