塩の道 年間第5主日(マタイ5・13~16)

昔から塩はとても貴重なものでした。ラテン語でも「塩」のことを「サル」と表現し、「サラリー」(給与)の原型にもなっています。希少価値が高かった塩を給料としていただくことに、昔の人たちは満足したのでしょう。

また日本には古くから「塩の道」というのがありました。これは塩や海産物を内陸部に運ぶために使われた道のことです。同時に内陸部からは、海辺にない山の食材や木材、鉄鋼などが「輸出された道」でもあり、交流の要所ともなった道です。日本では千国(ちくに)街道が有名で、それは糸魚川街道、松本街道とも呼ばれ、新潟県の糸魚川から内陸部にある長野県の大町、松本、塩尻などへ塩が運ばれていました。それにちなんだ地名もあちこちに残っています。そのことだけでも、塩の大切さや価値が分かるのではないでしょうか。

さらに塩は清めるために用いられたりします。相撲などの場合、力士たちが土俵上で塩をまいたりしますが、それは力士たちが土俵上を滑らないようにするためであると同時に、土俵を清めるためにも使われたりします。また塩は調味料や防腐剤としても使われ、人間の生活に最も重要なものの一つでした。塩がその味を失ったのであれば、塩としての価値はなくなり、捨てられるだけのものです。今日のみことばに登場する「塩に塩気がなくなる」という用語は、ギリシア語で「モランテー」が使われ、「馬鹿になる」というような意味が込められています。

このようなことから、キリスト者は神の愛や義を証する「塩」のようなに考えたのでしょう。また塩は防腐剤の役割を果たすので、キリスト者は世の腐敗を防ぎ、しみ込んだ堕落を防いでいく…。
イエスが語る「地の塩」の中には、私たちに与えられた尊さ、価値、清め、腐敗防止など、種々の視点で考えるポイントがあります。

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