春の訪れ 主の奉献(ルカ2・22~40)

今年の立春は2月4日。毎年、ちょうどこの頃に「主の奉献」をお祝いいたします。春の訪れを感じさせるこの時期に「主の奉献」を祝うのは、理にかなっているかもしれません。

「春」というと、私たちは何によってその季節を感じることができるでしょうか。梅の花、水仙、福寿草、雪解け、小鳥のさえずりなど…。寒い冬から、暖かい日差しが柔らかく注ぎ、新しい息吹を感じる季節です。

さて「主の奉献」にあたり、両親のマリアとヨセフは慣習に従って、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとしてささげます。このようないけにえは、彼らの生活がとても貧しかったことを意味します。貧しい生活ではあっても、二人が当時の習慣を大事にしていたことも確かです。

そんな中、明るい光が差し込んできます。一つはシメオンの賛歌、もう一つは女預言者のアンナの言葉。シメオンは「主が遣わすメシアを見るまでは決して死なないとの、聖霊のお告げを受けて」(ルカ2・26)いましたが、両親が幼子イエスを連れてきて、シメオンはイエスを抱き上げるとメシアを感じていきます。「異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの栄光」(ルカ2・31~32)は、まさにそのことを示しています。「異邦人を照らす光」という表現には、ユダヤ社会だけではなく、異邦人の世界にも救いが訪れる新しい光、春の訪れを感じさせます。またアンナは84歳になり、神殿を離れず、昼夜、断食と祈りのうちに神に仕えていました。彼女も幼子に近づき、神をほめたたえます。イエスの両親との出会いによって、アンナは今までにない光が感じられたのではないでしょうか。

「主の奉献」の喜ばしい出来事の中に、救いを目指す希望に満ちた春の訪れが、シメオンとアンナの言葉から漂ってきます。

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