ガリラヤの村 年間第3主日(マタイ4・12~23)

ガリラヤはイスラエルの最北端にあり、エルサレムからは程遠いところでした。政治的、宗教的にも軽視された町であり、アッシリア帝国の属国となってからは「異邦人のガリラヤ」と呼ばれるくらい軽蔑されていました。社会から見捨てられたような地域、今でも人口が少ない地域、そんな場所からイエスの宣教活動が始まります。常識では考えられないことです。

「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた」といいます。「退く」には「離れる、立ち去る、逃げる」といった意味があります。確かにイエスの誘惑の場面(マタイ4・10)に出てくるように、①石がパンになるように、②神の子なら飛び降りろ、③世の繁栄ぶりを見せ、イエスをひれ伏させようとします。そうした中、イエスは「サタン、退け」と強く語ります。「退け」はガリラヤに退かれたことと同じ使い方をしています。

ガリラヤに退いて一番最初の仕事は人を探すこと、つまり人材の育成でした。選ばれた人はとても素朴な漁師たちです。漁をすることはよく知っていましたが、特別に学問をしたわけではありません。そんな彼らにイエスは「人間をとる漁師にしよう」と言います。

「漁師」には二つの用語があります。「ハリエウス」と「ゾグレオ」です。前者は単に「漁をする人」、後者は「生け捕りにする」を意味しています。マタイでは前者が使われ、ルカでは後者が使われています。今日、朗読されるのはマタイですが、ルカの場合では「魚を殺さないように、生きたまま」の形で、活魚のような意味合いが含まれています。持っている味をそのまま生かし、その人の個性を大事にしたものです。ちょっとした味わいの違いがあります。

召し出しに際して、イエスの弟子たちはとても個性あふれる人たちでした。そういう姿をイエスは恵みとして受け止め、弟子として育てていきます。イエスの心の広さ、深さ、彼らへの恵みを感じたいものです。

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