知り、証しするという種 年間第2主日(ヨハネ1・29〜34)

私たちは、友達やパートナーのことをどこまで知っているでしょうか。相手のことを知っていると思っていても「あれっ、こんな一面もあるんだ」と新たな面を発見することはないでしょうか。相手のことを知る、もちろん、自分のことを知るというときも同じですが、心の底からしっかり向き合わなければ本当の相手、自分を知ることができないのかもしれません。

典礼は、待降節、降誕節が終わり年間主日に入りました。いよいよイエス様が活動し始めます。きょうのみことばは、イエス様が活動される前に洗礼者ヨハネがイエス様の紹介をする場面です。きょうのみことばの前に、ヨルダン川で洗礼授けていた洗礼者ヨハネが祭司やレビたちに、「あなたはどなたですか」と尋ねられる場面があります。それは、人々が洗礼者ヨハネのことを【メシア】ではないかと思っていたからでした。きょうのみことばは、洗礼者ヨハネと祭司たちが問答した翌日の出来事です。

今風に言うなら、「まさにタイムリーな出来事」となるかもしれません。洗礼者ヨハネは、イエス様が自分の方に来られるのを見て「見るがよい。世の罪を除く神の小羊だ。」と人々に言います。ヨハネ福音書の中でこの箇所で初めて「イエス」と言う単語が出てきます。それまでは、「み言葉」とか「あの方」と言う単語で「イエス様」を表していました。いよいよイエス様が現れヨハネ福音書で【イエス様】がどのようなお方であるかを紹介し始めます。みことばは、「イエスが自分の方に来るのを見て」とありますが、この「来る」と言うのは、イエス様が何か目的を持って来られる様子を表しているようです。もちろん、洗礼を受けるために来られているのですが、ヨハネ福音書は、共観福音書と違ってイエス様が洗礼を受ける場面は出てきません。

洗礼者ヨハネは、人々に「見るがよい」とイエス様の方に注目させます。聖書の中には、「見る」と言う言葉の中に、目に写るものを漠然と「見る」とか注意して「診る」とか、心の目で深く「観る」と言う意味があるようです。ここで洗礼者ヨハネが人々に言っている「見る」と言うのは、3番目の「心の目で深く観る」ことではないでしょうか。洗礼者ヨハネは、「今来られているイエス様が、あなた方が待ち望んでいる『世の罪を除く神の小羊(救い主)』ですよ」と人々に言っているのかもしれません。洗礼者ヨハネは、どのような気持ちでこの言葉を人々に伝えたのでしょうか。きっと喜んで、ようやく自分の使命を果たし終えた、と思ったのではないでしょうか。

続けて洗礼者ヨハネは、「『わたしの後から一人の人が来られる。その方は、わたしより偉大である。わたしより先におられたからである』とわたしが言ったのはこの方のことである。」と言います。この箇所は、洗礼者ヨハネの言葉として、ヨハネ福音書の1・15節に同じようなことが書かれてあります。ヨハネ福音書は、2回も同じような言葉を用いて、洗礼者ヨハネの役割を知らせ、さらにイエス様がどのようなお方であるかを強調して書き記そうとしたのではないでしょうか。

洗礼者ヨハネは、イエス様のことを「わたしもこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに明らかにされるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た」と言います。この箇所は、私たちに「えっ、どうして? 洗礼者ヨハネがイエス様を知らないの」と思わせる場面ではないでしょうか。もちろん洗礼者ヨハネは、イエス様と親戚ですし、マリア様がエリザベトを訪問したときに「胎内の子が喜び踊りました」(ルカ1・44)とあるくらいですから生まれる前からイエス様のことを知っていたはずです。ヨハネ福音書は、「イエス様の【ご受難と復活】をなくしては本当のイエス様を知ることはできない」という【イエス様の神秘】の深さを表しているのではないでしょうか。洗礼者ヨハネは、次の箇所でも同じ言葉を繰り返しいます。私たちは、どのくらいイエス様のことを知っているのでしょう。私たちは、洗礼の恵みを頂いて、聖体を通してイエス様を頂き、みことばを通してイエス様のことを知ることができます。しかし、私たちは、イエス様と深い所で関わる体験をしなければ本当のイエス様を【知る】ことができないのではないでしょうか。

洗礼者ヨハネは、「イスラエルに明らかにされるために」とか「この方こそ神の子であると証ししているのである」と繰り返しています。これは、私たちに与らえた使命でもあるのではないでしょうか。パウロは、「わたしは福音を宣べ伝えても、誇りにはなりません。そうしないではいられないからです。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしにとって災いです。」(1コリント9・16)と伝えています。パウロは、イエス様の素晴らしさ、魅力を知りそれを宣べ伝えることに一生を傾けました。イエス様を【証し・明らかに】する洗礼者ヨハネ、同じようにイエス様を知ったパウロが【宣べ伝える】ことは、私たちの使命と言ってもいいのではないでしょうか。私たちは、年間主日が始まるなか1年を通してみことばに助けられて「イエス様を【証し】」していくことができたらいいですね。

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