主の洗礼 (マタイ3・13~17)

洗礼が授けられる時、水を用います。この水にはどんな意味が込められているでしょうか。第一に水で洗い清めることから、「罪を清める」。第二に泳ぎが不得意な人にとって、水の中に入ることは溺れ死ぬ可能性があるように、水は死をイメージし、「キリストと共に死ぬ」。第三に水を飲むことで生き返るように、水は生をイメージし、「キリストと共に復活し、生きる」こと。このように洗礼には罪を清め、キリストとともに死に、復活して生きることを考えることができます。

今日、「主の洗礼」をお祝いしていますが、イエスはなぜ洗礼を受ける必要があるのでしょうか。洗礼者ヨハネは「私こそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、私のところへ来られたのですか」と、イエスに洗礼を思いとどまらせようとします。それに対してイエスは、「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」と語ります。救いの歴史の中で、人間はアダムの罪により、神から遠ざかってしまいました。今、イエスが正しいことを行うことにより、神と人間とのよりを戻そうとします。神への誠実さを私たちが生きていくことを示すその第一歩がイエスの洗礼でした。

またイエスの洗礼は人間のように、悔い改めのしるしとしてではなく、神のみ旨を果たすためでもありました。洗礼者ヨハネは洗礼者としての使命を成就し、キリストは新しいイスラエルの頭として洗礼を受けることにより、御父のみ旨を果たしていきます。

イエスが洗礼を受けると、天がイエスに向かって開け、神の霊が鳩のようにご自分の上に降ってくるのが分かります。鳩というと私たちは「平和の鳩」を想起しますが、「あなたの目は鳩のようだ」(雅歌1・15、4・1、5・12)、「鳩のように素直であれ」(マタ10・16)のように、清楚な鳥のイメージもあります。

イエスの洗礼により、私たち一人ひとりに与えられた洗礼の恵みを、今一度かみしめてみましょう。

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