一人ひとりの中のイエス様を愛しむという種 聖家族(マタイ2・13〜15、19〜23)

きょうの典礼は、『聖家族』の祭日で、『主のご降誕』の祭日の次に来る日曜日に祝われます。日本では、「子供の日」「母の日」「父の日」があってそれぞれを祝いますが、【家族】を祝うというのはありません。私たちは、改めて私たちの【家族】を振り返って見るのもいいかもしれません。

きょうのみことばは、ヨセフ様がマリア様とイエス様を連れてエジプトに、ヘロデからの迫害を逃避される場面です。みことばの最初に1節は、「さて、博士たちが立ち去ると、夢の中で主の使いがヨセフに現れて言った」という言葉で始まっています。マタイ福音書は、【主の誕生のお告げ】に引き続き主の使いが【夢】を通して大切なことを伝えています。きょうのみことばの前にある『東方の博士』にも「夢の中でヘロデのもとに戻らないようにとのお告げを受けたので、……」(マタイ2・12)とあり、そして、きょうのみことばでも3回【夢の中で】という言葉が出てきます。このように、考えると【夢】というのは、おん父から私たちへの大切なメッセージを伝えるための一つの手段なのかもしれません。

今回の主の使いのお告げは「起きよ。幼子とその母を連れて、エジプトに逃げよ。そして、わたしが告げるまで、そこに留まれ。ヘロデが幼子を探し出して、殺そうとしている。」というものでした。ヨセフ様にとって主の使いのお告げは、2回目だったので前のように動揺はしなかったでしょうが、お告げが「ヘロデがイエス様を殺す」という内容だったことに驚いたことでしょう。ヨセフ様は、今回の主の使いの【お告げ】をどのように受け止められたのでしょうか。もしかしたら、「『自分たちが授かった【幼子】は、生まれて来るや否やヘロデから殺されそうになるなんて』どんなお方なのだろう」と思われたのかもしれません。

それと同時に、「わたしが告げるまで、そこに留まれ。」という言葉に、安心とおん父への信頼の心を持ったのではないでしょうか。ヨセフ様は、正しい人だったので自分が頂いたその【お告げ】の事の重大さを直ぐに理解したことでしょう。ヨセフ様は、朝を待つことなく起きて、マリア様とイエス様と共に旅支度をして夜のうちに旅立ちます。マリア様は、ヨセフ様に言われるまま旅支度をされたことでしょう。時々、電車やバスの中でお母さんやお父さんが赤ちゃんをベビーカー乗せたたり抱っこしたりしているのを見かけます。赤ちゃんを連れての移動は、自分たちの分だけではなく、その子のために必要なものをも準備しなくてはなりません。お腹が空かないようにミルクやお菓子、おむつもあります。それだけではなく、赤ちゃんが泣いたときにあやすためのおもちゃなどもあるかもしれません。マリア様とヨセフ様は、どのような支度をされたのでしょう。

ヨセフ様たちは、エジプトに逃れヘロデ王が死ぬまでそこに留まります。みことばは、「これは主が預言者を通して、『わたしはわが子をエジプトから呼び出した』と仰せになったことが成就するためである。」とあります。このことは、なんだか不思議なことです。おん父は、ご自分の子であるイエス様が生まれる前から「エジプトへの避難」をご計画されていたのです。イエス様は、生まれた早々ヘロデからの迫害の危険があり、お亡くなりになる時も人々から迫害されるという大変な運命といってものかもしれません。しかし、これらはすべておん父のご計画なのです。マタイ福音書は、この預言書ホセア書を用いて、おん父がイスラエルを「わが子」とされたように、おん父ご自身がイエス様を【神の子】であると示しているようです。

再び主の使いのお告げは、ヨセフ様の夢の中に現れて「起きて、幼子とその母を連れてイスラエルの地に行け。幼子の命を狙っていた人々は死んでしまった」と言われます。前のエジプトに避難する時と同じようなお告げですが、今度は、避難ではなく「イスラエルに行け」という内容でした。私たちが考えると、「イスラエルに【帰れ】」となりそうです。しかし、マタイ福音書は、あえて【行け】を使ってモーセがファラオの手からイスラエルの民を救ったように、イエス様がイスラエルの民の【救い主】ということを示したかったのではないでしょうか。ヨセフ様たちは、主の使いのお告げに従ってイスラエルに向かいます。しかし、ヨセフ様は、アルケラが父の後をついでユダヤを治めていることを知って恐れます。そんな時、再び主の使いが現れ「ナザレ」に行くように告げられます。

幼子イエス様は、【主の使いのお告げ】を受けたヨセフ様とマリア様によって守られます。私たちは、「イエス様が神の子だからなんでもおできになる。」と思いがちです。しかし、神の子であるイエス様は、人であるヨセフ様とマリア様の助けを必要とされたのです。ここにおん父のご計画の神秘があるのではないでしょうか。家族という小さな社会、その一人ひとりの中におられる【イエス様】をお守りし、愛(いつく)しむ、それも自分一人だけではなく「幼子と【その母】を連れて」とありますように周りの家族と一緒にお守りすることを表しているのではないでしょうか。きょうの『聖家族』の祭日を黙想しながら、私たちの家族のことを振り返ることができたらいいですね。

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