アウグスチヌス池田敏雄神父さんについての私の思い出 永富久雄神父

九十歳まで執筆活動に情熱を燃やされた尊敬する池田神父さま、お疲れさまでした。健康にも普段から気をつかわれ、そして過去には数十回も富士登山をなしとげたとも聞いています。沢山の本を書かれた神父さま、あっぱれな生涯だったなと感心しています。

私は、今回、池田神父さんのお通夜、葬儀、そして火葬場での神父さまの遺骨拾いにも参加させていただきました。そして、もう一年でも池田神父さんが生きていたらなーと思いつつ、この一連の葬儀に参加させていただいたものでした。

私が、最後に池田神父さんとお会いしたのは、林外科病院で、亡くなる数週間前でした。明るい笑顔で、池田神父さんは、よく見舞いにきてくれた、と言って、ベッドから起き上がろうとしました。が、起き上がることができず、また横になってしまいました。食欲がないんです、と淋しそうに言われました。

あと一年でも生きていてくだされば、書き残された歴史ものを書き終えたかもしれないと思うと、とても残念です。

私は、池田神父さんがお書きになられた沢山の本の中から、特に、マスコミの先駆者「アルベリオーネ神父伝」と、「教会の聖人たち」(上下)をよく開いて、参考にさせていただいています。よく資料を集めて書きあげてくださったと思い、感謝しています。

池田神父さんとの、個人的な付き合いになりますが、私の親戚の、東京在住の上村肇さん宅に、三回ぐらい一緒に遊びに行ったことがあります。上村肇さんは、池田神父さんにとって、九州・宮崎での少年時代の仲のいい友達で、池田神父さんのことを、あだ名で「とんち」と呼びかけていました。池田神父さんの名前が、「敏雄」というので、その名前から「とんち」と呼んだようです。上村肇さんが、池田神父さんに会うと、よく「とんち」が遊びに来てくれたと言って、一緒に食事しながら、歓待していただいたことを憶い出します。

私のいとこであった上村肇さんは、東京・北区の滝野川で、税理・会計の事務所を開いていました。池田神父さんが、パウロ学園に勤めておられたころ、パウロ学園の会計のことで、よく世話になったこともあると聞いていました。

たくさんの本をお書きになられた池田神父さん、今、天国でやすまれて、友人や家族、先輩たちに囲まれて、たのしいときをすごされておられることでしょう。どうぞ天国から聖パウロ会の後輩たちのためにお恵みをとりついでください。

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