夢からの恵みという種 待降節第4主日(マタイ1・18〜24)

時々、「寝ている時、私は夢を見たことがない」という方がいますが、逆に「今日、こんな夢を見た」と話してくれる方もいます。夢について深く考えたことはありませんが、印象深い夢は、起きてからも覚えていることもあります。人によっては夢を見たことが、日常の生活の中で起こり、「あれは、『正夢』だったのかな」と思う人もおられることでしょう。

きょうのみことばは、いよいよ【主の降誕】を間近に控え、主の使いがヨセフの夢に現れお告げを行う場面です。みことばは、アブラハムから始まりヨセフに至るまでの系図の後に、きょう読まれる箇所に入ります。マタイ福音書は、イエス様の誕生が長い歴史を経てようやく実現すること、おん父のいつくしみと愛が成就するということを表しているのではないでしょうか。ですから、みことばは、「イエス・キリスト誕生の次第は次のとおりである」と読む人が、「私たちが待ち望んでいた、救い主イエス・キリストがお生まれになられる」と喜びと希望を持って受け入れるように伝えようとしたのかもしれません。

マタイ福音書は、系図の最後の方に「ヤコブの子はマリアの夫、ヨセフである。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった」(マタイ1・16)と記したのちに、イエス様が【聖霊】によってお生まれになったことを伝えます。ヨセフ様は、どのような気持ちでこのことを受け止められたのでしょう。ヨセフ様は、主なる神の介入という恵みによってマリア様が身籠ったと信じていたとしても、周りの人から、「そんなことはあり得ない。」と非難されると思ったのかもしれません。イエス様の誕生は、人の考えでは計り知れないおん父のご計画の中で起こったのでした。

みことばには、「マリアの夫ヨセフは正しい人で、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに離縁しようと決心した」とあります。ユダヤの律法によれば婚約をした二人は、すでに夫婦として認めらいたようです。そのため、ヨセフ様は、同居をする前にマリア様が身籠ったことが公に知られると、彼女が姦淫の罪を犯したということで、「石打の刑」にあうと思われ、周りの人にも相談できず一人で悩まれそして離縁することを決心したのではないでしょうか。

そんな時に主の使いがヨセフ様の夢に現れます。主の使いは、「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアを妻として迎え入れなさい。彼女の胎内に宿されているものは、聖霊によるものである」と伝えます。主の使いの、「恐れずにマリアを妻として迎え入れなさい」という言葉は、ヨセフ様にどれだけ勇気と希望を与えたことでしょう。ヨセフ様は、悩んだすえにマリア様と離縁まで決心したにも関わらず、この主の使いの言葉によって、自分が恐れていたことに気づき、おん父に委ねることの素晴らしさを知ったのではないでしょうか。このことは、私たちにも同じことが言えるかもしれません。おん父は、人間的に考えて絶対に無理と思うことを私たちに与えてくださいます。それに対して私たちは、不安や恐れを抱いてしまいますが、それはまだおん父に委ねることができない【私】があるからではないでしょうか。

主の使いは、繰り返すように、イエス様が【ダビデ】の子孫であることを伝え、さらに、【聖霊】によるものであることを伝えます。マリア様は、【おん父】のご計画の中で、さらに、【聖霊】の介入によって【イエス様】を身籠ることになるのです。イエス様のお誕生は、三位一体の充満によってなされる恵みと言っていいのではないでしょうか。主の使いは、「その子をイエスと名付けなさい。」と伝えます。このことは、ヨセフ様にイエス様の父としての権利を与えるということを意味しているようです。ヨセフ様は、もう悩む必要もなく、これから生まれてくるイエス様の父となるとおん父に祝福されたのでした。

主の使いは、最後に「その子は自分の民を罪から救うからである」と結びます。これは、イエス様が救い主として、また、人類の贖い主としてお生まれになられるということを伝えているのではないでしょうか。待降節は、「主のご降誕」によってこのイエス様がお生まれになられることを黙想する時と言ってもいいのかもしれません。

みことばは、「その名はインマヌエルと呼ばれる」というイザヤ書を用いてイエス様の誕生がおん父のご計画であることを伝えます。イエス様は、いつも私たちとともにおられる方、私たちの同伴者としておん父から遣わされた方、罪から解放して下さり、希望を与えてくださる方なのです。

ヨセフ様は、眠りから覚めると、主の使いが命じたとおり、マリア様を妻として迎えます。イエス様は、ヨセフ様の従順によってお生まれになったと言ってもいいでしょう。おん父は、【夢】を使って私たちに何か使命を与えてくださるのかもしれません。私たちは、恐れることなく、祈りと識別によってそれに従うとき、そこにイエス様の祝福があるのではないでしょうか。私たちは、「主のご降誕」を喜びと希望のうちに迎えることができたらいいですね。

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