喜びのうちに待つという種 待降節第3主日(マタイ11・2〜11)

町にはイルミネーションが点灯されて私たちは、視覚を通してもクリスマスが近いことを知ることができます。典礼では、「待降節第3主日」を迎え、もうすぐ「主のご降誕」が来ることを喜び、待ちどうしく心が跳ねるのではないでしょうか。また「待降節第3主日」は、喜びの主日とも言われ、アドヴェントキャンドルはピンク色の3本目のローソクに火が灯されますし、教会によっては、司祭の祭服の色がピンクを用いる所もあるかもしれません。

きょうのみことばは、洗礼者ヨハネが自分の弟子をイエス様の所に送る場面です。この箇所に入る1節前に「イエスは12人の弟子への指図を与え終えると、町々で教え、福音を宣べ伝えるために、そこをお立ちになった」(マタイ11・1)とあります。イエス様の宣教の様子が洗礼者ヨハネの耳に入ったのでしょう。洗礼者ヨハネは、ユダヤの【荒れ野】で「悔い改めよ。天の国は近づいた。」と人々に伝え、洗礼を授けるという宣教の形でした。しかし、イエス様は、【町々】で福音を宣べ伝えていました。もしかしたら、洗礼者ヨハネは、本当にイエス様がメシアなのかな、と疑問を抱いていたのかもしれせん。確かに残念ながら、洗礼者ヨハネは、自分が投獄されてから(マタイ4・12)、イエス様が宣教を始められたので、実際にイエス様の宣教される姿を見ることができなかったのです。

それで洗礼者ヨハネは、自分の弟子たちをイエス様の所に遣わして「来るべき方はあなたですか。それとも、他の方を待つべきでしょうか」と尋ねさせたのでしょう。洗礼者ヨハネの心は、焦っていたのかもしません。イエス様は、洗礼者ヨハネの心情を思われ、彼の弟子たちに「あなた方が見たり聞いたりしたことを、ヨハネに告げなさい。」と言われます。これは、ヨハネの弟子たちが、ヨハネの目となり耳となってご自分がなさることを伝える、と言うことではないでしょうか。私たちは、イエス様がどのようなお方なのかみことばを読んで知ることができますし、心に響いてくるものもあることでしょう。また、肉眼でイエス様を見てはいませんが、イエス様が日常生活の中で働かれているのを感じることもあるのではないでしょうか。

イエス様は、「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、……貧しい人は福音を告げられている。」とイザヤ書を用いてご自分がされている福音宣教の姿を伝えらます。洗礼者ヨハネの弟子たちは、ただ、イエス様の宣教を噂だけではなく実際に見て、触れ、そして感じると言う体験をしたのです。そして、彼らは、自分たちが受けた喜びを洗礼者ヨハネの所に帰って報告したのではないでしょうか。イエス様は、「わたしにつまずかない者は幸いである」と言われます。これは、洗礼者のヨハネがご自分に疑問を抱いたことを言っているのかもしれません。

ユダヤ人たちは、何千年という歴史の中で救い主が来られるのを待っています。洗礼者ヨハネもその中の一人ではないでしょうか。しかし、彼はおん父からの使命に忠実なあまり、「悔い改めよ。天の国は近づいた。」「斧はすでに木の根元に置かれている」(マタイ3・2、10)と人々に伝え、直ぐにでも主が来られることを伝えていました。ヤコブは、手紙の中で「ですから兄弟たちよ、主の来臨まだ耐え忍びなさい。農夫は、秋の雨や春の雨が降る時まで耐え忍んで、大地の尊い実りを待っています。あなた方もまた、耐え忍んで心を強く保ちなさい。主の来臨は近づいています。」(ヤコブ5・7〜8)と伝えています。今、私たちは、待降節の典礼を過ごしながらイエス様のご降誕を【待って】います。それは、辛抱ということではなく、【喜び】を持って待ち続けることではないでしょか。

さて、イエス様は、洗礼者ヨハネの弟子たちが帰った後、「あなた方は何を見に荒れ野に行ったのか。風にそよぐ葦(あし)か。では、何を見に行ったのか。……では、何のために行ったのか。預言者を見るためか。そのとおりである。あなた方に言っておく。彼は預言者に勝るものである。」と洗礼者ヨハネのことを群衆に語られます。彼らは、洗礼者ヨハネから「洗礼」を受けるために荒れ野に行ったのにもかかわらず洗礼者ヨハネのことを理解できていなかったのでしょう。イエス様は、彼らが素晴らしい恵みを頂いたことを気づかせるために、「何を見に行ったのか。何のために行ったのか。」と言われます。このことは、私たちにも言われているのかもしれません。

きょうのみことばでイエス様は、「天の国で最も小さい者でも、彼より偉大である。」と結ばれていますが、もう少し後に「ヨハネこそ来たるべきエリアである。」(マタイ11・14)と言われています。洗礼者ヨハネは、イエス様が来られることを伝える最後の預言者でした。しかし、その預言者も地上では、「天の国で最も小さい者でも、彼より偉大である。」と言われておられます。三位一体の神とともにいる天の国の素晴らしさをイエス様は、私たちに伝えようとしているようです。私たちは、この素晴らしいイエス様を迎えるために喜びを持って待つことができたらいいですね。

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