謙虚さの素晴らしさ 待降節第3主日(マタ11・2~11)

洗礼者ヨハネは牢の中にいて、イエスがどんな人物かを自分の弟子たちに確かめさせます。洗礼者ヨハネはなぜ依頼したのでしょうか。単純に考えると、「今まで自分が活動してきた領域をおびやかす人物、自分を越えるライバルが現れたので、どんな人物かを確かめようとした」と考えがちです。つまり人間の嫉妬からくる要素を私たちは考えるのではないでしょうか。

しかし、洗礼者ヨハネにとって、「来るべきメシアである救い主イエス」の立場を確認するような気持ちで、弟子たちを派遣していきました。イエスはヨハネの弟子たちに丁寧に答えていきます。「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病の人は清められ、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げられている」(マタ11・5)と語ります。洗礼者ヨハネは、イエスのこのことばを弟子たちを通して聞いて、救い主の到来を実感したのではないでしょうか。このような洗礼者ヨハネの態度に、謙虚さを教えられます。

イエスは洗礼者ヨハネについて「女から生まれた者の中で、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼より偉大である」(マタ11・11)と語ります。イエスから偉大な者と称賛されますが、彼は決して自分が偉大な者、称賛に値する者とは考えませんでした。

2011年3月11日に東日本大震災があり、東京も大きな被害を受けました。それから十日ほどたった頃、パウロ家族合同の黙想会が八王子の戸吹で行われました。黙想指導は韓国人のイグナチオ神父。彼は韓国を出発する際、「日本には原発の影響により、放射能が蔓延しているので、行かない方がいいよ」と言われたそうですが、彼は日本の仲間たちのために、喜んで日本に来てくれました。自分の体験などを交えながら、とても素晴らしい黙想指導でした。そんな姿や気持ちに、彼の謙虚さを垣間見た気がします。

いろいろな状況で謙虚さは大切なものです。洗礼者ヨハネは、その謙虚さの模範をよく示してくれるように感じます。

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