悔い改め 待降節第2主日(マタ3・1~12)

今日の箇所は、「洗礼者ヨハネが現れ、ユダヤの荒れ野で宣べ伝えて」(マタ3・1)という言葉から始まります。「荒れ野」にはどんな意味が込められているでしょうか。旧約聖書において、荒れ野は戦争や迫害などからの避難所としての役割を果たしています(一マカ2・28~30)。つまり、戦いで町が崩壊したり、政府からの弾圧などによって人々が都会に住めなくなって避難する場合、安心して住める場所、神との出会いの場所が荒れ野でした。

例えば、モーセがエジプトでの苦役や奴隷の状態から解放され、平和に旅することができたのは、シナイの荒れ野でした。40年というとても長い旅でしたが…。その反面、荒れ野は耕せない土地、不毛の土地、獣が住む怖い場所、人気のない寂しい場所です。洗礼者ヨハネが「荒れ野」で活動していたというのも、この二つの視点で考えてみると興味深いかもしれません。

さらに洗礼者ヨハネのことばは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタ3・2)から始まります。彼は「らくだの毛の衣をまとい、腰には革の帯を締め、いなごと野蜜を食物とする」ほど、とても質素な生活でした。見るからに聖者の雰囲気が漂っています。多くの人々が彼こそ長い間待っていたメシアではないかと考えたのも分かります。

しかし、彼は「後から来られる方は、わたしよりも力のある方で、わたしはその方の履き物をお脱がせする資格もない」(マタ3・11)と謙虚に語ります。彼の風貌、行動、ことばによって「悔い改めよ」ということばや内容が、人々の中に深く浸透したのではないでしょうか。

イエスの降誕を前にして、イエスを快く迎えるために「悔い改めて」心を清くしたいものです。

あなたにオススメ