誓願五十年を振り返る 楠本正良修道士

誓願五十年を迎えるに当たり、まずは入会までの動機についても少し書き足しておきたいと思います。

私は佐世保地区の相浦教会出身ですが、小学五年生の時、父は病気のため五十三歳で他界しました。その二年前に兄・秀男が腎臓を患い十九歳の若さで他界しました。後は母と三つ下の弟の三人で少し寂しい思いをしていた頃です。福岡の聖パウロ修道会から来られたパウロ山野修道士は、志願者の募集に非常に力を注いでおられたようです。『パウロ会にきてみんね。』と山野修道士からのお誘いとチラシ。何かパッーと明るいニュースが子供心に飛び込んできたような気になりました。私の家以外に浜上善行君の所にも募集がなされたようで、善行君とお父さんが尋ねて来られました。『楠本君、君が行くならうちの息子も行っても良かと言うとるけど、どうね。後で返事聞かせてくれんね。』と言われ、さらに気分が高まっていきました。二人を山野修道士に紹介してくれた当時の主任司祭山田勇神父のお陰でもあります。母からは『正良が入会したかと言うならば、上の方から父ちゃんが言わせよるとかもしれんたい。』と泣きながら言ってくれました。

私の同級生は入会時には十二名いましたが、一九六四年三月二日の上京時には八名でした。ただ高校生の時に試練があり私一人になってしまいました。それでも浜上善行君と中村茂光君とは今でも交流があります。

一九六九年三月十九日には初誓願式を赤坂修道院で祝っていただきました。修練期一年目はヴァラルド修練長、二年目は立石修練長、一対一のお堅い授業はまぶたに糊が付いたみたいに悪戦苦闘しました。!(^^)! 修練期を二年過ごしたのに有期誓願期五年のところ、六年(一年間)のおまけつき。会の取り決めが変わり目の頃? 修行が足りんから丁度いい。

使徒職は活版印刷とオフセット印刷が盛んな時期に、苦労をして土地を探しておられた桑島神父と立石神父がやっと八王子恩方の地に聖パウロ学園高等学校と聖パウロ修道会八王子修学院を移転させました。大移動でしたが何とかなりました。

その後、一九七五年三月十九日終生誓願式を立てさせていただきました。母ユクが来てくれましたが、その時が生きている間、初めてであり最後の修道院訪問になりました。

一九九四年九月十五日には福岡修道院で使徒職をしていたこともあり、誓願宣立二十五周年を福岡修道院にて教区長松永久次郎司教様に司式をしていただきました。司教様は大変お喜びになり、長い時間共に祝って下さいました。

二〇一九年三月十九日には若葉修道院にて誓願宣立五十周年記念の式典を管区長鈴木信一神父様の司式によって滞りなく執り行っていただきました。管区長が話す分まで私の拙い準備したコメントをお話ししたような感じになりました。家族の出席は最小限にしぼり、弟夫婦のみ来てもらいました。参加できた喜びと皆さまへの感謝の中に帰省して行きました。三月十九日に決めてから短い期間だったにもかかわらず快く動いて下さった管区や準備役員の皆さまへの感謝、各兄弟姉妹の皆さまからの心の籠った祝電・プレゼントの品物・歌、何よりも祈りをたくさんいただきました。

もう一つ思い出すことは、先に天に召されて行った多くの会員の方々が必要な時期に力になって下さりお陰様で五十年の歩みができたことを感謝しなければならないし、それがあって自分がここにいるのでしょう。

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