十字架上のイエス 王であるキリスト(ルカ23・35~43)

十字架はどのようなものでしょうか。パウロの言葉を借りれば、「ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうが、ギリシア人であろうが、召された者には神の力、神の知恵」(一コリ1・23~24)と言います。

さて十字架上のイエスを見て多くの人々はどのように反応したのでしょうか。議員たちは「あざ笑う」、兵士たちは「侮辱する」、犯罪人の一人は「ののしり」ます。それらを並列してみると、イエスに対する軽蔑の仕方がそれぞれ違っています。「あざ笑う」は「エクムクテリーゾー」が使われ、この用語は「鼻」と関係があり、「鼻であしらう」といった意味が含まれています。「侮辱する」は「エネパイゾー」が使われ、その「パイゾー」は「戯れる、踊る」といった意味があるように、「(子どもが)からかう」軽蔑的な表現です。「ののしり」は「ブラスフェメオー」が使われ、「冒涜する、誹謗する、中傷する」の意味が込められています。「ののしり」よりも「冒涜」の方がもっと明確かもしれません。このようにイエスが十字架上で軽蔑された動詞を並べてみると、聞くに堪えない言葉ではないでしょうか。

2001年9月11日、アメリカ合衆国での同時多発テロ事件によって愛国心に燃えた人たちがブッシュ大統領を支持していきます。それまで55%の支持率が、この事件を契機に90%まで跳ね上がります。議会もこの世論に動かされ、アフガニスタンへの攻撃を訴えるブッシュ大統領の決断を圧倒的多数で支持しました。審議に際して反対を表明したのは、下院ではわずか1名でした。(『家庭の友』2007年7月号、森司教さんの記事参照)たった一人反対演説をしたバーバラ・リーさんは、多くの「ののしり」を受けたことでしょう。十字架のイエスのように…。あれから18年たった今、彼女の演説は懐かしく思い出されます。

私たちが「あざ笑い」「侮辱」「ののしり」を体験する時、イエスの十字架を見つめながら歩んでいきたいものです。

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