01. 出身地ナルツォーレ――福者ジャッカルド神父の生涯

“だれでも努力さえすれば福者になれるし、福者になるには雲の上のような、この世離れした生活をする必要はない。ごく普通の地味な生活をしていても、常に神への愛と隣人への愛とを機軸にして、自分の生活を超自然化するコツさえ心得ておけば、福者になれる“という具体例をジャッカルド神父が示してくれたのである。したがって、一般の人であっても、本連載から生活のあらゆる面での重要な判断のヒントなり、考え方なり、進むべき道なりを引き出すことができると思う。(池田敏雄神父)

ナルツォーレは、北イタリアのトリノに近いピエモンテ(Piemonte)州アルバ地方の小さな町であり、北タナロ(Tanaro)川と南ストゥーラ(Stura )川に挟まれた、海抜三二メートルの比較的なだらかな丘陵地帯である。そのため、朝晩には時々辺り一面に靄が立ちこめ、湿気を帯びる。ジャッカルドの生まれた所は、町の中心から西北のタナロ川沿いのケラスコ村(後にナルツォーレ町となった)サン・ジョヴァンニ・サルマッサ(San Giovanni Sarmass)のバッタリオーネというカシーナ(農地管理人の住居)である。ここには豊かな牧草地や肥沃な畑が広がり、ところどころを焼いて赤褐色(テラコッタ)の屋根と黄白色の壁を備えた農地管理人の住居(Cascna)が散在する。

牧草地には牛の群れが牧草を食べ、移動するたびに首につるされた鈴がチリンカランと静かな空気を震わす。この牧草地には大量の干し草が収穫され、納屋に納められる。畑には小麦、エン麦、トウモロコシ、ぶどう、野菜類などが、一面に栽培されている。

農地管理人の住居は写真④に見られるように、二階建の本宅と平屋の長い納屋で構成されている。本宅の一階には台所と応接間があり、この二階には三つの寝室があった。納屋の片方には干し草が山と積まれ、もう一方には牛・豚・鶏が飼育され、ぶどう酒の酒蔵も設けられている。

ジャッカルドの生まれたところは、現在のように種々の機械が騒音を立て、排気ガスをまき散らしながら忙しく走り回っているわけではなく、たまに馬車か二輪の荷物運搬車の音や鳥・動物の鳴き声、人の話し声、風の音、川の流れの音がのんびりと聞こえてくるくらいであったという。

紺碧の西北の空、遙かにフランスと国境を接する四千メートル級のアルプス山脈が、かすかに浮かぶ。山頂には白雪をいただきながらも、時間によって青、紫など、山肌の化粧を変えていく。これを背景に、ナルツォールの丘陵地帯は澄んだ空気におおわれ、みずみずしい緑の草木や色とりどりの花に包まれる。さまざまな小鳥が木々の間をさえずりながら飛び回り、花から花へと蝶が舞う。草木の間からサン・ジョヴァンニ教会の鐘楼がくっきりとそびえ立つのが見え、そこから定期的に鐘の音が時を告げる。

農民はその鐘の音に合わせて仕事の手を休め、「お告げの祈り」を唱える。冬には、農家によっては寝室を牛小屋の片隅にしつらえることもある。動物の熱気で暖をとるためである。この小屋では、夕食後に、語りべのおばあさんが子どもたちを集めて昔話やおとぎ話を語ることもある。これは昔の日本の囲炉裏のそばに「居並ぶ子どもは眠さ忘れて耳を傾け……」(冬の夜)と歌った風景とよく似ている。夏にはさんさんと降り注ぐ陽光のもと、蝉のジージーと鳴く音がひときわ高く響きわたる。近くの川辺では、子どもたちがワイワイ騒ぎながら水泳を楽しむ。

タナロ川を越えて北隣りのランゲ(Langhe)の丘の農民たちは、実りだしたぶどうの手入れに余念がない。また、鋤に繋がれた牛を追い立てて畑を耕す農民たちの声もこだまする。日曜や祝祭日には、村中の人が着飾って教会へ行き、ミサにあずかったり、その他の宗教行事やいろんな集会に参加したりする。ここでは主任司祭が中心であり、その言うことをよく聴き、その勧めを大切にする。宗教心が厚いゆえに、衣食が貧しくとも、子宝の多い父母は尊敬され、一家のまとまりもよい。

長い冬には食物が不足し、貧しい家庭ではパンとニンニクとタマネギをつけて済ませることもまれではなかった。たまには、これに加えて、煮たインゲン豆かエジプト豆が食卓に出される。ナルツオーレの産物は数も限られているので、たいていのナルツオーレ人は商売で生活の糧を得るほかはない。近辺の村からぶどう、トウモロコシ、ライ麦、麦わらなどを仕入れて、村内はもちろんのこと、遠くまで売り歩いた。また、馬、ラバ、乳牛、ぶどう酒運搬車などの仲買をする人もいた。これらの商売に失敗すれば、女性は頭髪までも売り飛ばしてしまう家族もあったという。

しかし、何といっても、いちばん貧しかったのは小作農家か定職のない労働者たちであった。この人たちは第一次世界大戦前後の不景気のしわ寄せをまともに受け、その日を生きるのが精いっぱいで、衛生状態は極めて悪く、そのために子どもたちの死亡率が高かった。子宝の多い家族の子どもたちは、七歳か八歳になると奉公に出され、家畜の番をしたり、穀物の刈り入れをしたりする。大人になると、男女とも主にフランスへ移住することが多く、米国やアルゼンチンに行く人たちもいた。その移民の中には、出稼ぎから帰って故郷の土地を買い入れ、商売を始める人たちもいた。

昔のナルツオーレの中心街は道が狭く、ほこりぽっくて、静かな田舎町の感があったが、現在はすっかり様変わりし、商店街となっている。ナルツオーレの中心に、周囲の町村地域にとどまらず、国の内外を相手に商品の売買が盛んに行われている。このナルツオーレは人口三千人ほどの町で、新しい家々が軒を連ね、それぞれの家には家庭用電気器具やテレビや自家用車などがそろっている。また、農民たち相手の小飲食店や化学肥料店、農機具店などもあり、農民たちは昔のような過酷な労働からは解放されていた。しかし、ここの町民はこれでほんとうに幸せになったのだろうか? ジャッカルドと同時代の老人たちは「まさか!」といぶかる。

昔は、夜になると、薄暗い台所からも広い麦打ち場からも澄みきった星空が眺められ、天国が身近に感じられた。経済発展を最優先させると、それと引き換えに、日本にも見られるような森林破壊・大気汚染・川や湖の汚染・騒音・動物や鳥類や益虫の激減・若者の都会流出・物欲の増大と来世への信仰低下が進行しやすい・その流れとは逆に、経済力と技術力を活用して自然環境を保護し、先達から受け継いだ精神的・霊的文化遺産を後世に伝えようと努める人たちも世界には大勢いるし、実際にそれに成功している。

・池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年

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現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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