謙遜な祈りという種 年間第30主日(ルカ18・9〜14)

司祭はミサの入祭の挨拶の後に信者に向かって「皆さん、わたしたちの罪を思い、感謝の祭儀を祝う前に、心を改めましょう。」と回心への招きの祈りを唱えます。その後、少しの沈黙の後に信者は、司祭の「全能の神と」と祈られた後に「兄弟の皆さんに告白します。……罪深いわたしのために神に祈ってください」と答えます。司祭はこの祈りを受けた後に「全能の神がわたしたちをあわれみ、罪をゆるし、永遠のいのちに導いてくださいますように」と祈られます。そして、最後に「あわれみの賛歌」を唱えます。

このミサの最初の部分は、まず、自分の自身の「罪を糾明」をして「どうぞ罪深いわたしを憐んでください」というおん父に祈ってからミサを始めます。どうして、まず、自分の罪を見つめてからミサに与るのでしょうか。そして、司祭の「全能の神がわたしたちをあわれみ、罪をゆるし、永遠のいのちに導いてくださいますように」は、私たちの心にどのように響いてくるのでしょう。改めて考えてみるのもいいかもしれません。

きょうのみことばは、イエス様が人々に【祈る姿】を教えるためにファリサイ派と徴税人の祈る姿を喩えで話される場面です。みことばの最初は「自分を正しい人間であると思い込み、ほかの人をさげすむ人々に、イエスは喩えを語られた」とあります。このようにみことばに書かれてあるということは、たぶん人々の中にこのような人たちがいたのでしょう。イエス様は人々の心の中に「自惚れた心」「人を軽蔑し傲慢な心」を持つ悲しい人が多いと気づかれ、なんとか彼ら自身が「謙遜な心」で祈るようにと思われたのではないでしょうか。

イエス様の喩えは、信仰のよりどころである【神殿で祈る】「ファリサイ派」と「徴税人」という対照的な主人公を用いています。ファリサイ派の人は、誰が見ても祈りの専門家で、人々から一目おかれていた人でした。ですからイエス様の話を聞いていた人は、彼の祈りは素晴らしいに違いないし、きっと主なる神が聞き入れてくださるはずだ、と思っていたことでしょう。次に登場する徴税人は、人々から疎まれ、蔑まれるという「罪人」の代表と思われていた人でした。きっと、イエス様の話に耳を傾けていた人たちは、「徴税人」と聞いただけで虫唾が走りもう聞くに耐えないと思ったことでしょうし、どうして「徴税人が祈るために神殿に入って来たのか」とさえ思ったのではないでしょうか。

イエス様は、あえてこの2人の主人公を用いられます。ファリサイ派の人の祈りは、「胸を張って立ち心の中でこう祈った」という姿から始まり、いかにも自分の祈る姿を人々にアピールし、何も神に対して罪を犯していないという姿を表しています。さらに「神よ、わたしがほかの人たちのように、略奪する者でも不正な者でも、姦淫を犯す者でもなく、またこの徴税人のような者でもないことを、感謝します。」と祈り始めます。私たちは、このような祈りをする人に対してどのように思うでしょうか。たぶん「ここまで、他の人を見下すような祈りをしていいのだろうか。それも、平気で『感謝します』と神に祈っている。」と憤慨するでしょうし、呆れて物も言えないという気持ちになることでしょう。

さらに、ファリサイ派の人は、「わたしは週に2度断食をし、全収入の10分の1を納めています」と続けます。彼の祈りは、律法で決められた以上の断食や収入を納めていることを自慢しているのです。パウロの手紙には「わたしは善い戦いを戦い、走るべき道程を走り終え、……義の冠だけです。」と伝えていますが、結びには、「わたしばかりではなく、主の現れを心から待ち望む人には、誰にでもこれを授けてくださいます」とあります(2テモテ4・7〜8)。パウロの自信に満ちた手紙は、自分だけではなく周りの人に対しても気配りがなされています。

一方、徴税人の祈りの姿は「遠くに立って、目を天に上げようとはせず、胸を打ちながら言った、『神よ、罪人であるわたしを憐れんでください』」とあります。彼の祈りの姿は、ファリサイ派の人と違い「胸を張って立つ」どころか「胸を打ち」、「心の中で祈った」のではなく「言った」とあります。もう「祈り」と口にすることさえできず、ありのままの自分の心の中をただ伝えることしかできなかったのです。イエス様は、義とされて家に帰ったのは、「徴税人」の方だと伝えます。きっと良識ある人は、納得したことでしょうが、自分を正しい人間であると思い込んでいる人は、「どうして『徴税人の祈りが義とされるのか』」と憤慨したかもしれません。

イエス様は、「誰でも自ら高ぶるものは下げられ、自らへりくだる者は上げられる」と結ばれます。このことは、マリア様の「権力をふるう者をその座から引き下ろし、身分の低い者を引き上げられました」(ルカ1・52)を思い出させてくれます。きょうのみことばは、改めて私たちの祈りの姿、信仰生活を振り返る機会を与えてくれるのではないでしょうか。今一度「心の謙遜さ」を見つめ直すことができたらいいですね。

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