倦まず弛まず祈るという種 年間第29主日(ルカ18・1〜8)

私たちは、普段何をどのように祈っているでしょうか。私たちは、「苦しい時の神頼み」という言葉をよく耳にしますし、実際に口にすることがあるかもしれません。私たちにとって【祈り】とは、一体どのようなことなのでしょうか。きょうのみことで少し私たちの祈りを振り返ってみてもいいかもしれません。

きょうのみことばは、イエス様が弟子たちに「倦(う)むことなく、絶えず祈る」ことを教える場面です。以前弟子たちは、「主よ、ヨハネも弟子たちに教えたように、わたしたちに祈りを教えてください」(ルカ11・1)とイエス様に願ったことがありました。今度は、イエス様が弟子たちにどのように祈ればいいのかということを教えらます。もしかすると、弟子たちの中で「祈っても仕方がない。いくら祈っても自分たちの暮らしも良くならないし、天の国もいっこうに来ない。」というような諦めの気持ちが生まれて来ていたのかもしれません。今日のみことばは、私たちが弟子たちと同じような気持ちに陥ることがないようにという、イエス様からのプレゼントなのかもしれません。

イエス様は、裁判官とやもめについての喩えを語られます。もしかしたら実際に同じような事例があったのかもしれません。聖書の中で【孤児ややもめ】は弱者の代表とされていたようです。そのため律法でも彼女たちを保護する教えがありました。申命記には「在留する他国の者や孤児の権利を侵してはならない。やもめから衣服を取ってはならない。」(申命記24・17)、「畑で穀物の刈り入れをするとき、1束を畑に置き忘れたなら、それを取りに戻ってはならない。それは在留する他国の者、孤児、やもめのためのものである。そのように行えば、あなたの神、主はあなたのすべての業を祝福なさるであろう。」(申命記24・19)とありますし、出エジプト記では「やもめや孤児を苦しめてはならない。」(出エジプト記24・21)とも書かれてあります。さらに、「あなたたちの神、主こそもろもろの神の神、……孤児や、やもめのために正しい裁きを行い、在留する他国の者を愛し、食物と衣服を与えてくださる。」(申命記10・17〜18)ともあります。イエス様は、弟子たちが身近に感じている「やもめ」を取り上げて譬えを話されたのでしょう。

イエス様は、「神を畏れず、人を人とも思わない裁判官がいた。同じ町に、一人のやもめがいたが、いつも彼の所に来て、『どうか、わたしの敵を裁いてください』と言っていた。しばらくの間、この裁判官は聞き入れようとしなかったが、……『しかし、あのやもめは煩わしいから、裁いてやることにしよう。そうでもしなければ、絶えずやって来て、わたしをうんざりさせるに違いない』」と話されます。まさに、先ほどの申命記で書かれてあったことに反するような裁判官をイエス様は、譬えとして用いられたのです。不思議なもので、イエス様や弟子たちがちょっとした律法を犯した時には批判するファリサイ派や律法学者と違い、この裁判官は、あえて律法を無視していました。もちろん、みことばの中に「神を畏れず、人を人とも思わない裁判官」とありますので、律法を犯し、無視することなど気にも止めていなかったのでしょう。私たちの周りを、また、私自身を振り返ってみた時、この裁判官のように気づかないうちに弱い人に対して接してしまうことがあるかもしれませんね。

さて、イエス様は、喩えを語られた後に、「神は昼となく夜となく、ご自分に叫び求める選ばれた人々のために、裁きを行わず、そのまま、長い間放っておかれることがあるだろうか。神は速やかに彼らのために裁いてくださる」と言われます。イエス様は、弟子(私)たちに「昼夜を問わず、叫び求めて祈る」ように勧めておられます。私たちが祈り願うときは、いつでもどんな時にも、【叫ぶ】ように祈っていいのではないでしょうか。時々、「えっ、イエス様に愚痴を行ってもいいのですか。そんな祈りは失礼にならないですか」と言われたことがあります。私はそのような時「イエス様は『わたしはあなた方を友と呼ぶ』(ヨハネ15・15)と言われていますよ。友達なら愚痴を言ってもいいのではないですか」と答えます。三位一体の神様は、私たちの友でありますからどんな時に私たちの祈りを聞いてくださいます。

イエス様は、「人の子が来るとき、地上に信仰が見出されるであろうか」と言われます。イエス様は、おん父が私たちの祈りを聞いてくださることをお約束されますが、それでも信仰を持ち続けることの難しさを伝えられているのではないでしょうか。私たちが祈る時にイエス様は、「倦むことなく、絶えず祈ること」を教えられましたし、「速やかに裁いてくださる」とも言われました。しかし、おん父が私たちの祈りを聞き入れてださるのは、私たちが希望する時でも、結果でもありません。おん父は、私たちに対して最も優れた時に、必要なものを与えてくださる方なのです。私たちは、祈りがすぐには叶えられなくても、「倦まず弛まない祈り」でおん父が叶えてくださるまで待ち続けるという信仰を持つことができたらいいですね。

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