さんざんな目に遭わす 年間第29主日(ルカ18・1~8)

二千年前の状況で、やもめと裁判官ではどういう立場になるでしょうか。やもめは夫を亡くし、生活の基盤を失っているので、生活がとても苦しい立場でした。困った時に相談相手がいないという厳しさを持っていたことでしょう。それに対して裁判官は、人を裁く権力の立場にあり、ふだんから権威を持っていました。こうした状況において、やもめは裁判官に太刀打ちできない立場であったことは明白です。ところが、必死に願うことで、それがかなっていきます。「あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう」という言い方は、まさにその気持ちが伝わってきます。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(マタ7・7)という言葉が浮かんできます。

今日の言葉の中で、裁判官がやもめに対して持っている気持ちがとても心に響いてきます。すなわち、「さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない」(ルカ18・5)という言葉です。特に「さんざんな目に遭わす」という言葉は、ギリシア語で「ヒポピアゾー」という表現が使われ、「目の下に青あざを作る」「目の下を殴る」というとても暴力的な表現です。立場が弱く、生活に困り果てているやもめが裁判官に対して、目の下に青あざを作るほど殴るような、とても物騒な表現です。またこの部分を直訳すると、「彼女が私の顔を殴ることのないように」という意味で、そうした行為がやもめによって施されていくならば、裁判官に対する評判はがた落ちです。逆に、やもめの堂々とした行動や気迫は、裁判官を圧倒するようなものが感じられます。

こうした事例を通して、イエスは私たちが神に対して必死に願うことの大切さを語りかけていきます。

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