取るに足りない僕 年間第27主日(ルカ17・5~10)

「わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです」(ルカ17・10)と言えるのは、何と素晴らしいことでしょうか。誰でも自分の業績について評価してもらいたいし、褒めてもらいたいものです。特に、自信を持って実行したことについては、それなりの報いを求めたりするのではないでしょうか。そうしたものがないと、かえって不平不満の材料になったりするものです。当然のことを当然のように果たすのは、案外難しいものだなあと思います。

「取るに足りない」とは、ギリシア語では「アクレイオイ」が使われ、「利益のない」「もうからない」「無益な」「役に立たない」といった意味があり、自分の都合や利益を求めないことを意味するものです。また「僕」という表現が使われています。これはギリシア語では「ドゥーロス」が使われ、「奴隷」を意味する言葉です。つまり、自分勝手に行動するのではなく、主人の意のままに奉仕するのが、「奴隷」や「僕」の本来的な在り方です。自分の利益を求めず、全く無報酬で奉仕する姿勢を問いかけてくれます。

「取るに足りない僕」の生き方を見事に示した方として、パウロ家族の創立者ヤコブ・アルベリオーネ神父を取り上げることができます。彼は5つの修道会と4つの在俗会、信徒の協力者会など、全部で10の会を創立しました。それぞれに独自の使命をもって活動していますが、彼は自分の著作物の中で、「もしわたしよりも不適格で無能な人がいたなら、主はその人を選ばれたに違いない」(AD209番)と記しています。どんなに素晴らしい業績を残していても、こうした謙虚な気持ちになれるのは、とてもすごいなあと思います。神の前で自分がどのように奉仕していくかの模範を示してくれます。

私たちも「取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです」と、謙虚に奉仕できれば、最高の歩みができるでしょう。

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