お父さんの愛情 年間第24主日(ルカ15・1~32)

今日の箇所では最後に有名な「放蕩息子」の話が登場します。私たちは「放蕩息子」と聞き慣れていますが、実際の内容は「お父さんの愛情」と言った方が分かりやすいのではないでしょうか。

十数年前、年の黙想を、御受難会のウォード神父様が指導してくれました。話の中でこの「放蕩息子」についても分かりやすく話してくれました。神父様も「この箇所は、『放蕩息子』と一般に言われているけれど、内容は『お父さんの愛情』だ」と。私もそう思います。放蕩に走った息子が家に帰ってくる。普通の親ならいろいろ咎めたり、許したとしても、「もう二度と放蕩に走るなよ」と忠告するのでしょうが、お父さんはそういったことを語りません。むしろ温かく接待します。この息子はその後も放蕩に走ったかもしれませんが、それでもお父さんはこの息子を受け入れていく気持ちを持っていたことでしょう。何度、過ちを繰り返しても、迎え入れてくれるお父さんの愛情、懐の大きさがこの話で感動を呼ぶのではないでしょうか。

この箇所でとても好きな部分は「父親は息子を見つけて、憐れに思う」(ルカ15・20)という表現です。「憐れに思う」はギリシア語で「スプラングニゾマイ」と表現しますが、これは「はらわた」「内臓」を意味する「スプラングニゾマ」に由来する言葉です。一番弱く、腐りやすい「はらわた」「内臓」。だからこそ愛情や憐れみを注ぐ意味で、この言葉が使われるようになったのでしょう。同様に、父親は自分の息子に対して、心から同情し、憐れんでいきます。

このたとえを通じて、私たち一人ひとりに対して、父である神様の深い愛情が感じられるのではないでしょうか。

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