より愛するという種 年間第23主日(ルカ14・25〜33)

家を建てたり、マンションを購入したりするとき現金で一括払いする方もおられるでしょうが、ローンを組んで購入する方のほうが多いのではないでしょか。何か大きな出費がかかるものを買う時は、相見積もりを取り、支払いできるものか、他のメーカーや店舗の方が安いのではないかなど十分に考慮して購入いたします。これは、天の国に入るときも言えるのではないでしょうか。私の今の生活を振り返って、本当に「私はイエス様に付いて行って天の国に入れるのか」としっかりと見つめ直す時間も必要かもしれません。

きょうのみことばは、イエス様と【歩む】とは、どういうことかを私たちに伝えている場面です。イエス様と弟子たちとのエルサレムへ向かう旅は、人数も増し大群衆になってきています。人々は、イエス様の噂を聞き、イエス様がメシアとしてイスラエルの民を支配する時に自分たちも一緒になって救ってくださるようにと思っていたのでしょう。イエス様は、エルサレムに近づくに連れて人々の意思を確認されます。この旅の最初の場面は「さて、天に上げられる時が近づいたので、イエスは、エルサレムに向かって旅立とうと決心された。」(ルカ9・51)とありますように、イエス様がおん父のみ旨を行うために決心されて旅立たれのでした。イエス様は、ご自分が旅をしている意向と人々が付いて来る気持ちとの違いを感じられていたのではないでしょうか。

イエス様は、群衆に向かって「わたしのもとに来ても、自分の父や母、妻や子、兄弟や姉妹、さらに自分の命までも憎まない者は、誰もわたしの弟子になることはできない。」と言われます。イエス様のこの言葉は、自分の家族、身内を取るか、イエス様を取るかという二者択一という究極の選択のように聞こえます。イエス様は、「どちらをより多く愛するか」という意味で使われておられるのですが、それでもこの言葉をかけられた人々は、自分の意思を再確認したのではないでしょうか。私たちは、何かをするとき「自分の気持ち」を【優先】させるか、「イエス様の気持ち」を【優先】させるかという【選択】に迫られることがあるのではないでしょうか。私たちは時々、この仕事をしなければならいのに、気持ちが優れないので別のことをしようと、弱さから楽な方を選ぶ傾きがあります。

イエス様は、さらに「自分の十字架を担って、わたしの後について来る者でなれければ、わたしの弟子になることはできない」と言われます。イエス様は、まだエルサレムに向かって旅立つ前に「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を担って、わたしに従いなさい。自分の命を救おうと望む者は、それを失う。しかし、わたしのために自分の命を失う者は、それを救う。」(ルカ9・23〜24)と言われています。ここで共通する言葉は【自分の十字架を担う】ということです。私たちにとって【自分の十字架を担う】ということはどういうことでしょうか。そのことは、イエス様を【より愛する】ということではないでしょうか。

私たちは、【自分の十字架を担う】というとき、何か大変な決心をして挑むという気持ちになりますし、自分の欠点を克服しなければ、という気持ちになります。もちろん、それも【自分の十字架を担う】ということでもありますが、例えば、一日の中で、面倒だけれど足を止めて落ちているゴミを拾う、困っている人に声をかけるという、ちょっとしたことでも、十分にイエス様を愛することになるのではないでしょうか。また、何か気まずいことをした時、「ああ、イエス様ごめんなさい」と心の中で祈る時、これもイエス様を愛することになることでしょう。私たちの生活の中で、イエス様のことを思って行う時、そこには【自分】という気持ちは自然と消えているものです。【自分の十字架を担う】ということは、イエス様だったらどうされるのだろう、と考えながら【歩く】ということなのかもしれません。

次にイエス様は、「塔を立てようとする人」「他国と戦争をする王」の喩え話をされます。この二つに共通する言葉は、【まず座って】ということです。イエス様は、「それを作り上げるだけの経費があるかどうか計算しないだろうか」と言われますし、「2万の兵を率いて進撃して来る敵に、1万の兵で対抗できるかどうか考えないだろうか」と言われます。塔を建てるにしても戦争をするにしても、経費も人材をかかってしまいます。そのため【まず座って】じっくりと考えなければなりません。この【まず座って】という言葉は、後でイエス様が言われる「一切の持ち物を捨てる者でなければ、あなた方は誰も、わたしの弟子になることはできない」という意味のようですし、「わたしのために自分の命を失う者」という意味でもあるのではないでしょうか。

私たちは、イエス様をより愛するために【まず座って】、必要なものは何か、邪魔になっているものは何か、とイエス様と相談して考える時を持つことができたらいいですね。そんなとき、イエス様は、私たちに「一緒に歩こう」と言ってくださることでしょう。

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