十字架を担って従う 年間第23主日(ルカ14・25~33)

今日のみことばの中に「自分の持ち物を一切捨てないならば…」とあります。確かに自分の部屋にあるもの、特に思い出のあるものを捨てることはなかなか難しいものです。もっと難しいのは自分のプライドではないでしょうか。大なり小なり、だれにでもプライドが存在するのではないでしょうか。子供でもそのプライドを持っているし、大人でもプライドを傷つけられると、うつ病になったりする人もいます。目に見えるものだけでなく、目に見えないものをも捨てる勇気というのは必要なのかもしれません。

イエスは「自分の十字架を背負ってついて来る者」についても語ります。他人の十字架ではなく自分の十字架。自分の十字架ほど世界で一番重くて辛いと感じている人もいるでしょう。それを担うことをイエスは私たちに勧めます。

具体的にはどんな十字架があるでしょうか。私の場合には管区長の仕事があります。人の意見を聞いたり、何か問題が発生すれば、それに対処する。どうしてこうした十字架を私が担わなければならないのだろうかと思う時もあります。

10年前のことですが、イタリアで修道会総会が行われました。私も参加しましたが、その時に、それぞれの管区・地区は7分間、報告する時間がありました。私もパワーポイントを使って日本の会員、修道院、使徒職、養成、統治などについて報告しました。その準備とともに、実際に英語とイタリア語を使ってみんなの前で報告する時には冷や汗ものでした。「十字架だなあ」とつくづく感じました。
イエスは受難にあたって語ります。「父よ、み心ならばこの杯をわたしから取りのけてください」(ルカ22・42)と。イエス自身も自分の十字架がいかに重かったかを考えさせてくれることばです。最終的には、御父に従う決意をしますが、それは私たちのモデルともなるものです。

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