謙遜の勧め 年間第22主日(ルカ14・1,7~14)

収穫の秋になると、こんな格言を思い出します。「実るほどに、頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」。年とともに謙虚になっていくことを語る言葉です。ところが、実際にはそれが難しくなる自分に気づきます。年を重ねるごとに自分なりのちょっとしたプライドがあるためか、失敗しても謝るのが難しくなります。そんな時にこそ、謙遜はとても大事なものです。

宴席に招かれた時、どこに座ったらよいか、またお客さんにどの席に座ってもらうか迷うことがあります。中華料理のように丸いテーブルであれば、どの席でも均等のように感じますが、細長い席だとどこがメインなのか…。結婚式の披露宴でも誰をどの席にするか、けっこう迷うものです。

今日のみことばで「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」とイエスは語ります。最も謙遜な姿を示されたのはイエスです。イエスはその当時、最も卑しいとされた十字架につけられ、多くの人々の侮辱を受けながら、十字架上で亡くなっていきました。「木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである」(申21・23)という言葉があるように、十字架刑は呪いと侮辱の対象でした。軽蔑され、嘲られ、生涯を閉じる。さげすまれる中にイエスの謙遜な姿が浮かび上がってきます。そんな姿を、パウロは次のように表現しました。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」(フィリ2・6~7参照)。

キリストに倣うこと、それはキリストの十字架を担い、イエスが受けた侮辱や嘲りをもいとわない歩みが、私たちには求められているのではないでしょうか。

あなたにオススメ