平和ではなく分裂 年間第20主日(ルカ12・49~53)

「あなた方は、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。あなた方に言っておく。むしろ分裂である」(ルカ12・51)とイエスは語ります。「平和ではなく分裂である」というのが、私たちには何とも腑に落ちない感じです。

これまでイエスは平和について何度も触れてきました。「平和をもたらす人は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタ5・9)とか、ザカリアの賛歌では「闇と死の陰に座っている者を照らし、わたしたちの歩みを平和の道に導く」(ルカ1・79)、イエスの誕生の場面では、「いと高き天には、神に栄光、地には、み心にかなう人々に平和」(ルカ2・14)など…。福音を味わってみると、イエスには平和のイメージが浮かんできますが、「むしろ分裂である」と。どんな意味が込められているのでしょうか。イエスが語る「平和」は、必ずしもすべての人に評価され、受容されるものではありません。平和を否定し、拒否する人も実際にいます。イエスの教えを受け入れない人たちに対して、こうした厳しい言葉を投げかけます。

月刊誌「家庭の友」の編集をしていますが、ある著名なクラッシク音楽の専門家に「宗教と音楽」と題して原稿をお願いしようと思いました。ところがその方から、「私はクラシック音楽や宗教音楽は好きですが、神様の存在を信じないし、宗教にまったく興味がありません」と言われてしまいました。その言葉に私はただ唖然とするばかり…。ヴィヴァルディ、モーツァルト、ヘンデル、バッハなど、今でも数多く演奏されている作曲家たちの作品は、神の存在を信じ、宗教的な要素をベースにしたものが多いのに、宗教と音楽を全く区別して考えることができるのかなあと思いました。

私たちには、イエスの教えを受け入れるか否かの決断が要求され、決して中立はありえません。イエスを拒否する人には裁きの火となり、イエスを受け入れる人には、清めの火となります。今日のみことばには、イエスの厳しさとともに、イエスの教えを受け入れることの大切さが感じられます。

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