76. 晩年の日常生活――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

アルベリオーネ神父は、ローマの聖パウロ会本部二階の部屋を二つ使用していた。一つは寝室で、その隣室が事務所であった。寝室のベッドのマットとスプリングの間に、アルベリオーネ神父は木の板をはめこんでいた。こうしなければ、動脈炎で眠れなかったのである。事務所には電話、一二、三冊ぐらいの本を入れる本箱と小さなテーブル、二、三の古い椅子、膝まずき台、十字架、地球儀、ペン、地図、教皇庁年鑑などをそなえ、簡素なものであった。

毎日、朝三時か三時半に起き、安楽椅子にすわったり、立ったりして部屋を散歩しミサの準備をしていた。ミサにあずかる人の便宜をはかって五時半にミサをささげていた。晩年の二年は毎日ラテン語で聖母マリアのミサをささげていた。ミサ中でも日常生活でも態度やことば使いにたいへん気を使い、いつも単純であった。信心が生活の中心であり、眠られない米とか苦痛を感ずる時には、たえず祈っていた。

ミサを半時間ですませると、コーヒーを一杯飲んだのち、元気な時は七時まで聖堂で黙想と祈り、晩年はすぐベッドへ行って八時半の朝食まで休んた。朝食は一五分で終わり、新聞の記事に目を通した。事務所では午前九時から午後一時まで、昼食後三時から七時半頃まで事務をとった。

事務所で訪問客に会い、記事を書き、返信や感謝の手紙、励ましや祝いの手紙を簡単明瞭に書いた。どんなに簡単な手紙やハガキにも返事を書いた。何千人もいる会員の霊名の祝日がくると、それを思い出して祝いのことばを書いた御絵を送っていた。女性のお客の話をよく聞き、適当な助言、印象に残る励ましを与えていた。神父の手記の中には、人に接する方法が、次のように述べられている。

「他人の欠点を耐え忍んでいることを人に見せることなく耐え忍ぼう。必要でなければ、自分の内外の苦しみを現さないようにしながら耐え忍ぼう。

私に対していらだつ人、あるいは臆病な人には、大いに愛想よくしょう。私の喜び、愛、ユーモア、好意の影響が私自身を鍛えると同時に、他人を矯め直すことがありうる。他の人びとへの心づかいから、ことばをもって、彼らを愛していることを、彼らを信じていることを表わす時、なお彼らは、悪態をつくことができるだろうか? ある種の意地悪いことばに対してはほほえみ、優しい態度をとるなら、愛され、尊敬されるであろう。

他の人びとにいつでも奉仕するように努めよう。この望みは、人の顔かたちを変え、渇きを覚えさせる。目下の人、あるいは恥ずかしがり屋には、信頼と思いやりに満ちた、優しい親切なことばをかけているだろうか?

目上の人とは細やかに接することをモットーとし、その業績をふり返って賛え、彼らの計画、喜び、苦しみに対して関心のあることばを使うこと。真心こめて彼らに仕える心構えのあることを示すこと。何にもまして、温順さと喜びをもって彼らのことばに耳を傾け、勧めを求め、彼らが聡明であることを信じていることを示し、いつも彼らを喜ばせるようにふるまうこと。

毎日、どの日も、いつくしみ深い神のもとで、謙遜、義務、愛、犠牲精神をうるように努めながら、新しく始めよう。会話を始めようとする時、すぐに、接し方と話題を検討せよ。話題は相手がより好みそうなもの、より実際的と思われるものを選ぶように。

私は、一人でも幸せにし、喜ばせ、慰め、希望を抱かせ、愛の人にすることのできない日が、一日たりとも過ぎないように望む。」

アルベリオーネ神父は、晩年には訪問客に、いつも、こんなことを述べていた。「私はあなた方のために祈っているから、あなた方も私にために祈りなさい。……前進しなさい。……喜んで……成聖」と。 そして、まわり人には、マリアへの奉献の祈りが印刷してある「使徒の女王」のご絵を好んで与えていた。そのご絵の裏に短い祝福のことばを書き、署名していた。

昼食は午後一時、夕食は夜の八時に本部修道院の食堂で、会員といっしよに一五分ほど食事をした。食事中も会員たちと静かに話していたが、ほかの人とは、長い議論をしなかった。たくさん話しても、状況は前と同じで変わらない、と言って議論ほいやがっていた。アルベリオーネ神父の関心は、世界に広がる教会の問題であった。自分で意見を述べたら、必ずそれを実行する人であった。

晩年には、午前一一時ごろ医者が来ていたが、喜んでその診察を受けていた。昼食後午睡してから三時半ごろから看護の修道士と修道女に助けられてロザリオの祈りをゆっくりとなえた。聖務日祷も目が見えなくなるまで熱心にとなえた。それが終わるとおやつをして、夕方しばしば朝と同じように訪問客に会った。

誰かが神父に「何か必要なものがありますか?」とたずねると、神父は、しばしば、こう答えた。「祈りなさい。祈りなさい」と。午後七時ごろから一人静かに祈りをしたり、読書したりしていた。七時四五分ごろに告解をし、午後八時の夕食は、一年以上看護の修道士といっしょにした。その時にヴァチカンの日刊新聞「オッセルバトーレ・ロマーノ」を注意深く読んだ。高い声で見出しをざっと読み、とくに教皇の声や働きについて熟読していた。

悲しい事件があるたびに「おお、祈りましょう」と言って祈っていた。また修道会の創設期のこと草分けの人たちのことをよく覚えていて感謝しながら話していた。ピオ十二世教皇やピオ十世教皇のこともよく話していた。時々、腹のそこから笑い、「少し気晴らしでもしましょうか」と言っていた。そして非常に単純に楽しい家庭的雰囲気をつくろうと心がけていた。

夜間は少し眠ってから目をさまし、こつこつと部屋の中を歩いていた。四○年間、動脈炎に悩まされ、歩くことによって血液の循環をととのえていたのであった。しかし、以上の日課は、世界に散在する聖パウロ家族修道院の各修道院を回ったり、黙想指導をしたり、会議に出席したりする時には、大幅に変わった。

時間を節約するために、いつも夜間に旅行した。旅行から帰ってくると、必ず新しいアイディアと新しいプランをもって、修道会の改善に乗り出した。創立者は次のことをしばしば口にしていた。「教会の改革を望む人の中で、まず自分自身を刷新しなかった者は、失敗している」と。アルベリオーネ神父は、吹けば飛ぶようなやせた小柄な人であったが、その精神は頑強で、物に動ぜず、あくまで信念を貫き、自己コントロールを最高度に実践していた。

ある神父が創立者に向かって「日曜日の午後にでも、ローマ郊外にドライブして新鮮な空気を吸いましょう……」とすすめた。すると創立者は、みんなの心を傷つけないように気遣いながら、こう答えた。「私は今日まで一日も休日をとらなかった。年寄りになったからそろそろ始めてみようか」と。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年

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現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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