おん父に甘えるという種 年間第17主日(ルカ11・1〜13)

滅多にないのですが、講演会などの講師を依頼されることがあります。その準備をしながら、「上手くできるかな?」と不安な気持ちに襲われます。この気持ちをある神父様に話したところ、「ブラザー不安な気持ちが起こるのは、『自分でなんとかしなきゃ』って思っているからですよ。イエス様は、ブラザーが準備したものをお使いになって上手くされますよ」と話してくださいました。この神父様の言葉を聞いて楽になり、「聖霊にお任せしよう」という気持ちになりました。

きょうのみことばはイエス様が弟子(私たち)に【祈り】について話される場面です。弟子たちは、イエス様が祈っている姿をみて自分たちも祈りたくなったのでしょう。弟子たちは「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言います。もちろん今までも弟子たちは、祈っていたことでしょう。しかし、自分たちの祈りの姿とイエス様が祈っておられた姿に何か違いを感じたのでしょう。このような祈りの欲求は、私たちの中にもあるのではないでしょうか。時には、「イエス様、祈りを教えてください」と尋ねてもいいかもしれませんね。

『主の祈り』は、マタイ福音書にもあります(マタイ6・9〜11)。マタイ福音書の方は、山上の説教で人々に教えている中で伝えられ、さらに「偽善者のようであってはならない。……異邦人のようにくどくどと言ってはならない」(マタイ6・5〜7)と言われてから「だからあなた方はこう祈りなさい」と人々に教えられる、というラビのように伝えています。ルカ福音者のイエス様は、弟子たちの純粋な気持ちに応えて『主の祈り』を教え始められます。さらに、マタイ福音書の「天におられるわたしたちの父よ」という荘厳な始まりではなく、おん父に対して「父よ」という子どもが「お父ちゃん」と言うように始まっています。

イエス様は、まず「み名が聖とされますように。み国が来ますように。」とおん父への賛美と、おん父の国である「愛と平和な国」が来ますようにと祈りなさいと伝えられます。次に「わたしたちの日ごとの糧を、日ごとに、お与えください。」と続きます。この祈りは、明日のことではなく、【今日】の糧をお与えください、と祈ることの大切さを教えているのではないでしょうか。私たちは、ついつい【明日】の心配をしてしまいます。イエス様は、「先の心配よりもまず目の前の【今】のことを考えなさい」と教えてくださっているのかもしれません。

そしてイエス様は、まとめとして「わたしたちの罪をお赦しください。わたしたちに負い目をある人をみな、わたしたちも赦します。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。」と教えられます。ここで、私たちの【罪】の赦しを祈るとともに周りの人を赦す気持ちをも祈ることを教えられます。私たちは、自分の罪を悔やむこと、自分の弱さゆえに犯してしまう罪深さには、気がつきやすいのですが、周りの人の罪を赦すことまではなかなかできません。イエス様は、私たちのそのような気持ちをご存知なのです。ですから「お父ちゃん」にそれができるように「祈りなさい」と教えてくださっているのではないでしょうか。

イエス様は、犯した【罪】をいつまでも心に留めるのではなく、まず、「赦してください」と祈ること、そして周りの人から受けた傷や、「人には言うけど、自分だって同じようなことをしているではないか」と言う気持ちではなく、私自身が相手の罪を【赦します】と言う【決心】の祈りを教えられ、最後に、イエス様は、罪に陥らないように「誘惑に陥らせないでください」と罪から遠ざけてくださるように祈ることを教えられます。イエス様は、私たちに祈るための最も大切な祈り方を「いつくしみの愛」をもって教えられています。この『主の祈り』は、頭から祈るだけではなく、「わたしたちの日ごとの糧を、日ごとに、おたえください」というように1節だけを繰り返し祈ってもいいのかもしれませんね。

続いてイエス様は、夜中に友人を迎えた人の喩え話をれます。友人を迎えた人は、自分が食べるパンで精一杯で友を迎えるためのパンがなかったのです。ですからこの人は、恥を覚悟に別の友のところにパンを借りに行きます。人々が寝静まった夜中ですし、きっと周りの家にも2人の会話は聞こえたことでしょう。それでも彼は恥も外聞もなく執拗に願い求めます。このパンは、私たちの足りないものと置き換えていいかもしれません。例えば、自分の欠点や能力、苦手と思う心などをどうぞ満たしてください、と友であるおん父に祈ってみてもいいかもしれません。

最後に父親が自分の子どもに対する「愛」の喩え話をされます。イエス様は、「求めなさい」「探しなさい」「たたきなさい」と言われます。イエス様は、子どもが駄々をこねて親に何かを欲しがるように、心だけではなく体全体を使って祈ることを伝えているのかもしれません。イエス様は、おん父がそんな私たちを可愛くて愛おしくてしようがなく【聖霊】をくださることをお約束されているのではないでしょうか。私たちは、おん父に甘えるように【聖霊】ください、と祈ることができたらいいですね。

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