もてなしの心 年間第16主日(ルカ10・38~42)

日本の文化にはもてなしの心があります。茶室だと四季折々の花を壁際に置き、貴賓客の心を和ませるために掛け軸をかけ、庭園が眺められる位置に席を準備する。ちょっとした気遣いの中に思いやり、もてなしの心があります。また食事の前におしぼりを準備して、手をきれいにしたり、暑い季節になると窓際に風鈴をつけたり…。生活している人たちがとても快適に、心地よく生活できるように配慮していきます。
 
今日の聖書のことばでマリアとマルタの話が登場します。私たちの視点からはイエスのためにせわしく働くマルタとイエスの話をじっと聞いているマリアとを比較するならば、せわしく働き、もてなしているマルタに私たちは共観を覚えるのではないでしょうか。 「もてなす」はギリシア語で「ディアコネオー」が使われています。それは「仕える」「もてなす」「給仕する」の意味があります。せわしくもてなすマルタに対して、イエスは「マリアは良い方を選んだ」と語ります。宣教などで疲れ果てて家に入ってきたイエスの心情を考えるならば、マルタの方がとても親切に感じますが、イエスはマリアの方を評価していきます。

なぜイエスはマリアのほうを評価したのでしょうか。仕事を過小評価したのでしょうか。むしろ死を迎えるイエスを前にして、マリアはただひたすらイエスのことばに耳を傾けていく。どれくらいの寿命が残されているか分からない状況の中で、マリアは聞く態度を取っていきます。私たちもマルタのようにせわしく働くことを選ぶかもしれません。でも時にはイエスのことばに耳を傾け、その言葉から生活の糧を見出していく時も必要でしょう。

よく修道者たちが年の黙想を約1週間いたします。これは講話を聴いたり、ミサをささげたりもしますが、静かな中でイエスを顧みる時でもあります。活動から離れて、静かに自分自身を見つめるよい時です。慌しい時代だからこそ、静けさが欲しいものです。

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