善いサマリア人 年間第15主日(ルカ10・25~37)

有名な善いサマリア人のたとえです。さてここに登場する人物はまず祭司です。祭司の中でも特に有名なのは、永遠の大祭司メルキセデク。彼には王と祭司の務めがあり、いわば支配者的な立場です。また古代の宗教では、祭司は神の代わりに語るような人で、祭儀における奉仕、神のみことばへの奉仕がありました。祭司は神と人との仲介者とも言えます。

一方、レビ人はどうでしょうか。「レビ」は「親しむ、結び合わせる者」の意味があり、祭儀の務めをして、神と人とを結び合わせる役割を担っていました。神聖な務めを保持する祭司部族として顕著な地位を占め、祭司階級に位置する人たちでした。このことから、祭司、レビ人のいずれも、社会的に約束された人々です。一方サマリア人は「シケムに住む愚かな民」と称され、人々からとても軽蔑されていました。

こうした背景を頭に置きながら読んでいくと、ここで登場するサマリア人の対応がいかに寛大であるかが見えてきます。

祭司とレビ人は「たまたま」通ります。決して急いでいる雰囲気ではありません。それでも彼らは別の道を通ります。関わりたくない気持ちが彼らにはあったのでしょう。一方サマリア人は「旅をしていた」わけですから、ちゃんとした目的を持っています。その目的を変更してまでも、彼はこの傷ついている人に接していきます。しかも傷ついているのはユダヤ人でしょうから、彼にとってみれば無視してもおかしくない立場です。それを乗り越えてこのサマリア人は親切に対応していきます。自分の時間を費やしてまでも関わっていきます。ふだんはユダヤ人に馬鹿にされていたのでしょうが、それを気にせず、憐れみと思いやりの気持ちで対応していきます。

こうした対応から、私たちは他人の目や視線を気にすることなく、今、ほんとうに大事なのは何か、行動すべきことは何かを教えてくれます。

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