聖体の実りという種 キリストの聖体(ルカ9・11b〜17)

きょうの典礼は、「キリストの聖体」です。洗礼の恵みをいただき、「初聖体」の恵みをいただいている人は、【聖体】を拝領することができます。私が正式に「初聖体」をいただいたのは、小学校4年生の頃だったかと思います。ただ正式にということは、そうでない時があったのです。実は、私が幼稚園の年少の時でしょうか、ミサの時に両親と一緒に聖体拝領の列に並んでいた時に神父様が間違えて私に聖体を下さったのです。今考えると、まさに「イエス様が私の中に飛び込んできた」という感じです。そう、これが私の「初聖体」でした。

きょうのみことばは、イエス様がパンを増やす場面です。イエス様は、人々を迎えて神の国について語り、また治療を必要とする人を癒されていました。しかもその場所は、人里離れた所でした。イエス様が人々に【神の国】について話され、人々を【癒をされる】ことはイエス様の宣教の形ではないでしょうか。イエス様は、72人の弟子たちをご自分が行こうとしておられるところに派遣する時に「……その町の病人を癒し、人々に『神の国は、あなた方に近づいた』と言いなさい。」と言われています(ルカ10・1〜9)。

イエス様は時間を忘れて、人々に神の国について語られ、人々を癒されておられたのでしょう。もしかしたら、これから起こそうとされる「奇跡」も含めてイエス様は、人々に接されていたのかもしれません。みことばには、「やがて日が傾きかけると、12人はイエスに近づいて言った……」とあります。弟子たちは、イエス様に「群衆を解散させてください。そうすれば、近くの村や村里に行って宿を取り、食べ物を手に入れることができます。」と言います。弟子たちのこの心配は、一見的を射ているようですが、大変な落とし穴があるかもしれません。

ここで弟子たちは、自分たちが人々に夕食を準備することを【不可能】だと決めつけていますし、自分たちの都合で人々を解散させようとしています。ここには、人々に対しての【愛】を感じられないのです。私たちは、ついつい一般的なものの考え方、現実的な行動に走りがちです。しかし、イエス様の宣教の形は、私たちが考えているような【常識】を遥かに超えた形で人々に福音を伝えられるのです。ここにイエス様の【愛】があると言ってもいいでしょう。

イエス様は、「あなた方が、彼らに食べ物を与えなさい」と言われます。弟子たちは、どのように思ったのでしょう。今風に言えば「マッジですか? どう考えても無理でしょう」と思ったのかもしれません。いいえ、今の私たちでも無理だと断り、「早く人々を解散させましょう」と言って自分たちの意見を通そうとするかもしれません。弟子たちは、「わたしたちには、5つのパンと2匹の魚しかありません。わたしたちが行って、このすべての民のために、食べ物を買ってこないことには」と言います。弟子たちは、5000人の男たちに対して「5つのパンと2匹の魚」では無理だと判断します。ここで、弟子たちは、「わたしたちには」とか、「わたしたちが行って」とか【自分たちでなんとかしよう】と考えています。彼らは、イエス様の「あなた方が、彼らに食べ物を与えなさい」という言葉を意識しすぎて共におられる【イエス様】を忘れていたのでした。

さらに、弟子たちは、数字的に考え、あまりにも大勢の人々に対して「5つのパンと2匹の魚【しかありません】」と言って、「焼け石に水」ではないかと考えます。イエス様はそうではなく「5つのパンと2匹の魚【もある】」と考えられられるのです。イエス様のお考えは、「ないものは仕様がありません。後は『おん父がなんとかしてくださる』」とおん父を信頼されておられるのです。イエス様は、弟子たちに「人々を50人ずつ組みにして、座らせなさい」と言われます。弟子たちはそのとおりにして、みなを座らせます。もしかしたら、この「50人ずつ」と言うのは、キリストの食卓に集う教会共同体なのかもしれません。

イエス様は、5つのパンと2匹の魚を【取り】、【天を仰いで】、それらのために【賛美をささげ】、【裂いて】、群衆に配るために【弟子たちに渡され】ます。イエス様のこの動作は、最後の晩餐で弟子たちにパンと盃を与えられた時と同じです。さらに、このことは、司祭がミサの中で「聖変化」をする時に唱える祈りでもあります。イエス様は、ご自分が模範となって「おん父に信頼して祈ること」それから「私たちの働き」を私たちに示されたのではないでしょうか。

人々は、弟子たちが配った「5つのパンと2匹の魚」を食べて満腹します。さらに、余ったパン切れを集めると12の籠もあったのです。イエス様は、私たちの小さな働きを使われて大きな恵みを表されるのです。私たちは、ミサを通して「聖体」をいただき、霊的な糧、力、癒しなど多くの恵みをいただいています。「キリストの聖体」の典礼を通して私たちが受けている恵みを今一度振り返り、群衆が満足したように、私たちも【聖体】を味わい、満足してその満ち足りる程の恵みを周りの人に伝えることができたらいいですね。

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