73. 最初の一か月の黙想会――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

アルベリオーネ神父は、年配の会員たちの霊的な刷新教育のことを考えていた。古参の会員たちは全世界に散らばって宣教活動に全力を尽くすあまり、自分の精神を刷新し、現代の学問をする余裕も余力もない状態にあった。それでアルベリオーネ神父はこの人たちのために一年間の刷新教育を提案し、いつも心身共に若々しさを保ち、勉強を生涯続け、現代に合った頭の切り替えをすることを勧めた。今では、この継続養成を世界中どこでも必要と認められているが、この点でもアルベリオーネ神父は時代を先取りしていたのである。

当時としては、パウロ会員が一年間、現場から離れて黙想や勉強に専念するのは、現状では無理だということで、せめて一か月の黙想をすることにきめた。そこでローマ近郊のアリッチャの森に聖パウロ会の建てた黙想の家でアルベリオーネ神父は、一九六○年(昭和三五年)の春、七六歳の年をものともせず、みずから最古参の会員たちを集めて一か月の黙想を指導した。その時、創立者は、主キリストに提出しなければならない二つの決算書、すなわち自分個人の決算書と社会的決算書について話した。その二つの決算書を出す前に自分がパウロ一家に対して、どのように振る舞ってきたかを報告した。

創立者は自分一個の責任について、こう告白していた。「パウロ家の各修道会に関する限り何でも、つまり創立も、発展も、精神も、拡張も、使徒職もみな従順しながら一歩一歩歩んできた。……私は神の御手を感じてきた。」そして創立者はパウロ家の諸修道会の名をしるして、それに、それぞれの重要な目的と最も大切な次の指針をつけ加えた。

「聖パウロ修道会はほかの諸修道会の育て親みたいなものであって、それらにパウロ的精神を与えねばならない。同時に、会憲の第二条に順じて、自分自身の使徒職を果たさねばならない。

聖パウロ女子修道会は、聖パウロ修道会に似た使徒職をしているが、しかし、おもに女性向けの使徒職をし、聖座の考えに従って聖パウロ修道会に秩序立った協力をしなければならない。

師イエズス修道女会は、聖体使徒職、聖パウロ修道会の修道院における司祭職奉仕、典礼使徒職にたずさわる。

善い牧者修道女会は、その能力と生活条件に応じて主任司祭たちに協力することを目ざし、大衆と直接に接触してパウロ的精神を伝えねばならない。

使徒の女王修道女会は、まだ始まったばかりであるが、「すべての使徒職のためのあらゆる召命」をモットーにして祈りと召命を起こす運動を目的としている。

イエスズ司祭在俗会は教区の司祭のためであって、このような組織に属している特徴、利益、聖パウロ家の諸修道会に結ばれた義務がついている。

大天使ガブリエル在俗会は神に奉仕した男子の会であって、世にあって、世の手段を使いながら、使徒職に献身する。

お告げの乙女在俗会は主に奉献した女性の会であって、世にあって、世の手段を使いながら使徒職に献身する。

これら三つの在俗会は、パウロ同盟のようなものを作るが、聖パウロ修道会に付属したものであり、聖座の最終認可をえたものである。

第一に彼らは世にあって聖パウロ修道会に協力し、普通の三つの誓願を立て、聖パウロ修道会の長上たちの指導で、聖座の規定に従い、三つの誓願を守らなければならない。

協力者会は、信者の会であるが、その生活条件に応じてパウロ的生活を模倣したいと望み、祈りと仕事か献金かをもって聖パウロ修道会に寄与することを望む。

国際的のあるこれらの組織をもって、またその固有の使徒職をもって聖パウロ修道会は、すべての人にその豊かさを分け与えることができるし、道・真理・生命であるイエス・キリストを世に与えることができる。

生命にかかわる熱と光は、聖パウロ修道会の司祭たちから下ってくるはずである。彼らの役職が、偉大で慎重を要するのは、この点である。だからこの司祭たちは第二にパウロ家の種々の修道会を十分に知らなければならない。それは、彼らが教会法の規定に従って与えなければならぬものを与えるためであり、またその代りに教会の本性と精神に合うものを受けるためである。

なんと大きな責任! 精神は一つでなければならない。聖パウロの心の中にあったあの中身つまり『パウロの心はキリストの心』でなければならない。信心は同じものであり、種々の目的は共通の、一般目的に集結して行く。すなわちキリストが『私は道・真理・生命である』と定義した通り、完全な方法でイエス・キリストを世に与えることである。」

この説明のあと、創立者は、パウロ家を全キリスト教会にたとえている。

「パウロ家の種々の修道会は聖パウロ修道会から滋養と活力とをうける。聖パウロ修道会が熱心であるだけ、ほかの修道会も、なおいっそう熱心になるだろう。

とくに今日では、むかしよりいっそうすべての部門での組織、とくに国際的な組織が何よりも使徒職に役立つ。私たちはカトリック教会の中でも最も愛された子らとして、自分がカトリック信者であることをいっそう自覚し、使徒職のために心を合わせなければならない。

お互いに理解し、愛し合わなければならない。『キリストの愛が私たちを一つに集めた。』お互いに祈りと協働の助けを与え合わなければならない。自分一個の利己主義は共同生活をこわす。社会的エゴイズム、政治的エゴイズム、家庭的エゴイズムは組織を崩壊させるか、少なくとも不毛なものとしてしまう。 いつも聖師の『ひとつであるように』との祈りをとなえなければならない。パウロ家の限界は世界の果てであり、その羊はすでにお祈りの中にいる人びとであり、また、そのおりに連れ戻したい人びとである」と。

実際にアルベリオーネ神父は、みずから率先して三年後には、八○歳に手の届く老年にもかかわらず、兄弟姉妹をひとつの心、ひとつのまた魂とするよう激励するため、極東への長い旅行に出かけたのである。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年

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