三位一体をめぐる分裂と一致 三位一体の主日(ヨハネ16・12~15)

聖書の中には「三位一体」という表現は登場しませんが、それを感じさせる表現はあります。今日の福音には「その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである」「父が持っておられるものはすべて、わたしのものである」と語ることで、聖霊と御子イエス、御父と御子イエスとの関わりを理解できます。

さて「三位一体」という表現を一体誰が、いつ頃から使うようになったのでしょうか。アンティオキアのテオフィロスが181年頃、「三つ」を表すものとしてギリシア語で「トリアス」という言葉を使いました。その後、225年頃に亡くなったテルトゥリアヌスが「三位一体」という言葉を使ったと言われます。この言葉が3世紀後半には一般的に使われるようになりました。

やがて「三位一体」について異端が生じるようになります。アレキサンドリアのアリウス(256年~336年)という司祭は、神には三つのペルソナは存在せず、「御父」のペルソナだけと主張しました。御子は単なる被造物にすぎず、神ではないと。この異端に対抗したのが、アタナシウス(296年~373年)です。彼は御父、御子、聖霊は神であり、三つのペルソナであることを主張し、325年にニケア公会議が開催され、アリウスの意見は異端と宣告されました。その後、オリゲネスが「三位一体」の発展に貢献し、451年のカルケドン公会議で、この「三位一体」の教義が再確認されました。

ところが、1054年に東方教会と西方教会とが分裂します。その原因は政治的なものもありましたが、三位一体の解釈をめぐっても意見を異にします。東方教会は「御父が御子を通して聖霊が発出する」と主張したのに対して、西方教会は「御父と御子によって聖霊が発出する」と主張しました。「三位一体」は一致の象徴でもあるのに、それが分裂の原因にもなったのも皮肉です。それから約千年たった2001年5月のこと。教皇ヨハネ・パウロ二世はギリシアを訪問し、ギリシア正教のクリスト・ドゥロス大主教を訪問し、一致と和解に努めました。長年、分かれていたものが一致へと歩んだ瞬間でした。

日本の社会の中でも「三位一体」という表現が使われるようになりましたが、この機会に三位一体のほんとうの意味や、一致、和解の精神を考えてみたいものです。

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