復活の喜びを分かち合うという種 復活節第2主日(ヨハネ20・19〜31)

私たちは、数人と話をする中で、物事を実際に体験した人とそうでない人との温度差を感じることはないでしょうか。例えば、「ヨガ」のことを話している中で、ヨガを体験して体調が良くなったことを話しても、「ヨガ」をしたことがない人にとって、その話は、ただの情報に過ぎません。イエス様の復活も同じではないでしょうか。

きょうのみことばは、復活したイエス様が弟子たちにお現れになる場面です。トマスを除いた弟子たちは、ある家に集まっていました。彼らは、イエス様の空の墓を見に行ったペトロとヨハネの話、そして、実際に復活したイエス様と会話をしたマグダラのマリアの話について語り合っていたのではないでしょうか。彼らの中には、ペトロやヨハネの話を聞いてもまだ半信半疑だった人もいたことでしょう。ルカ福音書に出てくるエマオに向かう2人の弟子は「仲間の数人の婦人がわたしたちを驚かせました。というのも、彼女たちは朝早く墓に行きましたが、イエスの遺体を見出せないまま帰ってきました。……そこで、わたしたちの何人かが墓に行ってみますと、婦人たちが言ったとおり、その方は見当たりませんでした」(ルカ24・22〜24)と復活したイエス様に話しています。たぶん一緒に家にいた弟子たちもこのエマオに向かう2人の弟子たちとたいして変わらなかったのではないでしょうか。

イエス様は、そのような時に弟子たちの所に現れます。みことばには、「弟子たちはユダヤ人たちを恐れて、自分たちがいた場所の戸にはことごとく鍵をかけていた。そこに、イエスがおいでになって、真ん中に立って仰せになった、『あなた方に平和があるように』」とあります。彼らは、ユダヤ人たちを恐れていました。それは、彼らが犯罪人の仲間だと思われ、さらにイエス様の遺体を盗んだ(マタイ28・13)と思われていたからではないでしょうか。もしそうだとすると、彼らは「死体に触れたこと」になり律法を犯したことにもなるのです(民数記19・11〜21)。彼らは、家中の戸口の鍵を【ことごとく】かけていました。よほどユダヤ人たちを恐れていたのでしょう。この「戸口にかけた鍵」というのは、彼らの「心の状態」と言ってもいいのかもしれません。もしかするとイエス様を裏切った罪の呵責もあったのではないでしょうか。時折、私たちもこの弟子たちと同じように罪のために自分の心に鍵をかけてしまうことがあるかもしれませんね

そんな中にイエス様が現れ、ご自分を裏切ったことへの叱責ではなく「あなた方に平和があるように」と言われます。みことばには、「弟子たちは主を見て喜んだ」とだけ書かれてありますが、この【喜び】というのは、自分たちの罪が赦されたこと、ペトロやヨハネ、そしてマグダラのマリアが出会ったイエス様にやっと自分たちも会うことができた、という【喜び】ではないでしょうか。イエス様は、再び「あなた方に平和があるように」と繰り返されます。イエス様の【平和】は、弟子たちだけではなく私たち一人ひとりに対しても送られているのです。私たちは、ミサの中で平和の挨拶を交わします。それは、私の中におられるイエス様が挨拶を交わした人に、また、相手の中におられるイエス様が私に挨拶をされていると言ってもいいでしょう。司祭はミサの中で「わたしたちの罪ではなく教会の信仰を顧み、おことばのとおり教会に平和と一致をお与えください。」と唱えます。この祈りは、教会共同体の中にイエス様の平和で充満することを意味しているのではないでしょか。

さてトマスは、弟子たちがイエス様と出会った話題で持ちきりの時に、自分だけが会う事できず疎外感を覚えていたのでしょう。他の弟子たちが「わたしたちは主を見た」という言葉にトマスは、「……決して信じない」と言います。そんな頑なな彼の心を癒すために、イエス様は、再び現れ「あなた方に平和があるように」と言われます。トマスは、そこでイエス様が復活されたことを信じるのです。トマスは、「わたしの主、わたしの神よ」という心から声を言います。このトマスの言葉は、イエス様を見て信じることができたことの安心感、疎外感ではなく他の弟子たちとやっと分かち合うことができる喜びの表れではないでしょうか。私たちもこのトマスの言葉を時折唱えてもいいかもしれません。

イエス様は、トマスに「あなたは、わたしを見たから信じたのか。見ないで信じる人たちは幸いである」と言われます。私たちは、どのようにしてイエス様を信じているのでしょうか。【見ないで信じる】ということは、難しいことかもしれません。しかし、それでも私たちは、イエス様がおられるということ、私たちの周りで働いておられるということ、私たち一人ひとりの中に語りかけておられるということに気づき、信じているのではないでしょうか。それが、私たちの信仰を支えていると言ってもいいでしょう。私たちは、教会共同体の中で復活されたイエス様との出会いの体験を分かち合うことができたらいいですね。

あなたにオススメ