「でもとにかく」 復活節第3主日(ヨハネ21・1~19)

弟子たちは漁をするために沖へ漕ぎ出していきます。夜中まで精一杯働いたのでしょうが、何の収穫もありませんでした。「その夜は何も捕れなかった」(ヨハ21・3)という言葉が、現実を示しています。漁師にとって、夜通し働いたにもかかわらず、何も捕れなかったのは、さぞかし悔しい思いにかられたことでしょう。何もないのに、イエスから「子らよ、何か食べるものはないのか」と言われた時には、とてもみじめな気持ちになったのではないでしょうか。その後、イエスに「舟の右側に網を打ちなさい」(ヨハ21・6)と。長年、漁師をやっている彼らにとっては、イエスの言葉に半信半疑だったかもしれませんが、ただ正直に網を降ろしていきます。プロ意識を捨てて、網を降ろす。だからこそ、たくさんの収穫を得ることができました。

私たちにも、一日中働き、一生懸命仕事をしたのに、たいした収穫がない時もあります。まさに弟子たちが夜通し働いた心境と同じです。別にさぼった訳ではないが、結果としては何の収穫もない。それはとても辛いものです。一生懸命やったのに、報われない時の寂しさ…。時には軽蔑的な言葉を投げかけられたりもします。

そんな時、マザー・テレサの「でもとにかく」という言葉は励まされます。「たとえ、あなたがいいことをしても、人々はあなたを非難し、あなたを利己的な人だとか、秘められた野心を持つ人だとかいうでしょう。でもとにかく、いいことをしなさい。(中略)あなたの長い努力が生んだよい実りも、人に無視され、明日には忘れ去られるでしょう。でもとにかく、いいことをしなさい。数年かけて、こつこつと築き上げてきた物が、一夜にして崩れ去るかもしれません。でもとにかく、築き上げていきなさい。」

自分の思いとは異なって、再度網を下ろしていく勇気を求められることを今日のみことばから教えられます。種々の困難の中でも、マザー・テレサのように「でもとにかく」と前向きな姿勢で歩みたいものです。

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