イエス様と出会うという種 復活の主日(ヨハネ20・1〜10)

「一見は百聞に如かず」ということわざがあります。何度言葉で聞かされても、見て確かめることには及ばない、ということです。私たちは、自転車や水泳のように体験しことは、何年経っても覚えています。弟子たちにとって【復活したイエス様】との【出会い】とはどのようなものだったのでしょう。

きょうのみことばは、「復活の朝」の出来事です。「復活の主日」の典礼は、A年、B年、C年とも同じこのヨハネ福音書が読まれます。みことばは「週の初めの日の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行き、墓から石が取り除かれているのを見た」というところから始まっています。この「週の初めの日」というのは、今の日曜日ということのようです。マグダラのマリアは、安息日が終わるやいなや日も昇る前に急いでイエス様が葬られた墓に向かいます。ヨハネ福音書では、マグダラのアリアだけが登場していますがマルコ福音書には、「マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、そしてサロメは香料を買った」(マルコ16・1)とあります。この3人の女性たちはイエス様がガリラヤでイエス様に従っていった人たちでした(マルコ15・40)。彼女たちは、最後までイエス様の十字架の下にたたずんでいました。それは、彼女たちがイエス様を愛していたということではないでしょうか。

彼女たちは、朝早くイエス様が葬られた墓に行きます。彼女たちは、どのような気持ちでイエス様の墓に行ったのでしょうか。サロメは、香料を買っていましたので、イエス様に塗ってあげようと思ったのでしょう。彼女たちは、12人の弟子たちがイエス様から愛されいろんな体験をしたように、彼女たちもイエス様とともに歩み、いろんな体験や思い出があったのではないでしょうか。彼女たちは、イエス様を亡くした悲しみに沈んでいたことでしょう。そのような彼女たちが見たのは、墓から取り除かれた石と空の墓だったのです。マグダラのマリアは、いち早くこのことをペトロとイエス様が愛した弟子(ヨハネ)の所に【走って】知らせに行きます。

彼女は、「誰かが主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わたしたちにはわかりません。」と伝えます。マグダラのマリアを含む女性たちは、イエス様が葬られていた墓が空になっているのを見て誰かに盗まれたと思ったのです。マタイ福音書には、「祭司長たちとファリサイ派の人々は、……『あの男の弟子たちが来て、死体を盗み出し、『死者の中から復活した』と民に言いふらすかもしれません。……彼らは行って、墓石に封印をし、番兵に見張らせた』(マタイ27・62〜66)とか「『あの男の弟子たちが夜中にやって来て、われわれが眠っている間に、死体を盗んだ』と言え。」(マタイ28・13)とありますように、弟子たちだけではなく、祭司長やファリサイ派の人たちもイエス様が誰かに盗まれたと思っていたのです。このように、イエス様の死は当時のユダヤ人たちにとってトップニュースだったのではないでしょうか。

ペトロとヨハネ、そしてみことばには書かれてありませんがマグダラのマリアも一緒に【走って】墓に行きます。きょうのみことばの前半は、【走る】という言葉が出て来ます。マグダラのマリアは、イエス様の墓が空だったのを弟子たちに知らせるために走りましたし、弟子たちは、彼女の知らせを聞いて走って墓に行きます。彼らはどのような気持ちで走ったのでしょうか。もちろん、イエス様のことが心配だったでしょうし、もしかしたらイエス様が以前話されていたように【復活】されたのではないか、と思ったのかもしれません。彼らのイエス様への気持ちが【走る】という言葉に表れているのではないでしょうか。

彼らは、墓に着き中の様子を【見ます】。ヨハネは、先に着きのぞきこみ亜麻布が平らになっているのを見ます。次に後から来たペトロとヨハネが墓の中に入り、イエス様を包んだ布の状態を【よく見ます】。そして彼らは、ようやくイエス様が復活されたということを【見て】信じます。みことばには、「2人は、イエスが死者の中から必ず復活するという聖書の言葉を、まだ悟っていなかった」とあるように空の墓を見るまで彼らは、生前イエス様が話されたことを信じることができなかったのです。この【空の墓】を【見た】ということが彼らにとって最初にイエス様の復活を信じるという【体験】だったのです。

きょうのみことばにはありませんが、墓の外に立っていたマグダラのマリアは、2人の弟子たちが帰っても墓に残って泣いていました。彼女は、まだイエス様の復活を信じていなかったのでしょう。彼女に近づいたイエス様に「誰かがわたしの主を取り去りました。」と言います。彼女はイエス様に「マリア」と呼びかけられて初めてイエス様が復活したと信じます。

イエス様が【復活】する場面は、残念ながら誰も見てはいません。しかし、弟子たちは、【復活】したイエス様との出会いの【体験】を通して、【イエス様の復活】を信じます。私たちも日々の生活の中で復活したイエス様との出会いがあればいいですね。

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