68. 文化放送局の創立 ――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

戦後のある時期まで放送事業はNHKの独占企業であったが、一九四九年(昭和二三年)の夏、アメリカ占領総司令官マッカーサーの指令によって、民間放送局設置への道が開かれることになった。このチャンスを見のがすまいとして、パウロ会員は必要な研究を進め、同年十二月二十五日に放送局の開局申請書を提出した。そして同時に四年からは将来放送局に使用される予定の「文化放送会館」の建築を開始された。

なぜパウロ会員が放送事業を始めるようになったか。それには会憲に明記されてある特殊目的、すなわちマス・メディアを通じて宣教するという目的があったこと以外に、神の摂理ともいうべき次のようないきさつがあった。第二次世界大戦中、パウロ会員三名(グイト・バガニーニ神父、カルロ・ボアノ神父、ジョワンニ・キエザ神父)が、NHKで同盟国イタリア向けのニュース番組を担当し、アナウンサーを勤めていた。

この経験が、日本のパウロ会員に自分たちの手で放送の使徒職を始めようという夢を芽生えさせたのである。そして戦後、米国の通信技術大尉と知り合って以来、この夢はしだいにふくらんでいった。初めはアマチュア・ラジオの送受信を初めようかという案もあったが、当時の社会の動きから本格的な民間放送局設立の機運が熟しているのを見てとり、先の申請書を当局に提出したのである。

東京における民間放送局設立の申請者は二七もあったが、そのうちわずか二局が放送免許を与えられた。その一つは新聞社関係を合同した「ラジオ東京」であり、他の一つは聖パウロ会を中心に、その他の宗教、文化関係者が合同した「日本文化放送」であった。これが選ばれたのは建物も一応放送局として整っていたからでもあった。この資金は米国から送られて来た古着を売ってえられたものであった。

種々の困難、反対にもかかわらず、好意ある多くの人びとの協力と援助によって、財団法人「日本文化放送協会」が発足し、一九五二年(昭和二七年)三月三十一日に開局した。聖パウロ女子修道会の志願者二一名もこの放送局で働いた。

その後、理事間の見解の相違や経済問題の混乱などで、財団法人としての存続が困難となったため、一九五六年(昭和三一年)二月、渋沢敬三氏の斡旋によって、株式会社「文化放送」が生まれ、聖パウロ会はその株主の一員としての関係をもつだけになった。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年

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