67. 聖パウロ女子修道会の来日 ――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

マルチェリーノ神父は戦前から何回も聖パウロ女子修道会の総長シスター・テクラに「シスターたちを日本に派遣してください」と頼んでいた。それでテクラ総長も日本にシスターたちを派遣する決心をし、希望者を募っていた。

そして一九四八年(昭和二三年)のある晩、テクラ総長は、日本へ行く三人のシスター(イレネ、パルミラ、ロレンチナ)の名前を発表した。

しかし、日本入国許可を取るのが、むずかしかったので、まずアメリカ合衆国へ入国し、英語を勉強し、旅行費をかせぎ、フィリピン経由で、同年八月六日に日本へ着いた。あらかじめマルチェリーノ神父は阿佐ヶ谷に適当な家を見つけておいたので、そこに落ち着いた。

その翌年の五月、アルベリオーネ神父が、テクラ総長とともに視察のために来日し、親しく日本の現状に接してプロパガンダ(家庭訪問による書籍販売普及)の必要を痛感し、東京教区長土井大司教の許可をえた。

シスターたちはテクラ総長が滞在している間に一日だけでも本をたずさえて家庭訪問しようと考えた。というのもテクラ総長はシスターの行うプロパガンダを日本人がどのように受け取るか心配であったからである。

まず二人のシスターは男子パウロ会の中央出版社に行って家庭訪問する場合の挨拶のことばを書いてもらい、数冊の本を手さげカバンに入れて四谷見附から都電に乗った。電車の中でどこで降りようかと相談し、結局市ヶ谷駅前で降りて、近くの家を訪問した。紙切れに書いた挨拶のことばを一生懸命おぼえたが、いざ実際使ってみる自身がなかったので、書籍だけをさし出した。最初の家でも二番目の家も、三番目の家でも親切にシスターを迎えて、書籍を買ってくれた。テクラ総長もこのプロパガンダのよい報告を受けて喜んだ。

その後も、シスターたちは町の雑踏の中へプロパガンダに出かけて行った。修道女とは修道院の奥深く祈りに明け暮れているばかり思いがちな日本人にとって、女子パウロ会のシスターたちは驚嘆の的であり、保守的な人からは非難された。

米国の女子パウロ会からシスターが一人来日し、アメリカ軍兵士の間にも出版布教を行った。そして米兵の寛大な寄付で、志願者の衣食住も大いに助けられた。

シスターたちは書籍の販売普及だけでなく、高円寺教会の主任司祭に協力し、修道院に若い女性を招いてカトリック要理を教え、数多く信仰の道や修道生活へ導いた。このような使徒職は、のちにシスターたちが、日本全国に進出してからも続けられた。シスターの普及した本によって、あるいは話によって信仰の道へ導かれた者はおびだだしい。またシスターたちは、デバートのセント・ポール・コーナーで、教外者と教会との強力な橋渡しの役目をも果たしている。

その上各教区の司教や教会の主任司祭に頼まれて、バザーや特別の祝祭日や催しものがある毎に、書籍やマスコミ使徒職に関する展示会を開き、教会の司牧を側面から援助している。

日本管区の聖パウロ女子修道会の創設者であるシスター・イレネは、こう述べている。

「プリモ・マエストロ(アルベリオーネ神父)は、信仰の強い方で、本当に神さきの代理者であると強く感じました。私たちの修道院を訪問してくださった時は、私たちの大きな力となり、支えとなりました。

日本の聖パウロ女子修道会が、現在まで発展したわけは、まずシスターたちが創立者の精神に従って苦労や犠牲をいとわず、心を合わせて同じ目的に向かったためでありましょう。

次に各教区の司教さま方や神父さま方や有力な恩人たちの好意と援助によるものでありましょう。最後に私たちの使徒職が日本の事情によく合っていたことでしょう。教外者のまっただ中で、本を売るだけでなく、教外者に教会や修道生活を説明し、時には手紙や電話で教外者と連絡をとり、教会や修道院に集めて、カトリックに対する認識を深めたことがよかったと思います。」

アルベリオーネ神父が、第一回目の日本訪問をおこなっている時に、シスターたちは東京赤坂の聖パウロ修道会に近い、より広い土地をさがすため、土地ブローカの事務所へ行った。紹介された土地が、乃木神社の近くの焼け跡であった。土手に囲まれた高台で、戦災前には門がまえの庭園つきの大邸宅があったものと思われる。

アルベリオーネ神父は、この土地を見て満足した。この土地に現在の聖パウロ女子修道会の修道院が立つことになったのである。そのうちに志願者が多くなったので、阿佐ヶ谷から一九五○年十二月に乃木坂の新しい修道院に移転した。

現在ここ(港区赤坂8-12-42)管区長館のほか修道院、聖堂、使徒職館が建てられている。また支部としては、仙台、平塚、名古屋、神戸、広島、福岡に、それぞれ修道院を設けている。

これらのシスターたちこそ、創立者の次の精神を実現している者といえる。すなわち「イエス・キリストは人を待つのではなく、むしろ人をさがして教えられた。この師のように、使徒は、町や村や僻地の家庭にも、神のみことばを広めなければならない。山を越え、大洋を渡り、『すべての人に光を与えるために』(ヨハネ1・9)すべての人のところへ行かねばならない。すべての人、家庭、教会に関心を持たねばならない。書店を組織化し、熱誠ある人を養成し、あらゆる団体に入りこみ、職場の係長、校長、責任者を説得させなければならない」と。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年

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現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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