お父さんの愛情 四旬節第4主日(ルカ15・1~3、11~32)

今日の箇所は、「放蕩息子」としてよく知られている箇所ですが、放蕩に走った息子を温かく迎え入れるお父さんの優しさが、みごとに描かれています。内容からして、「放蕩息子」というよりも、「お父さんの愛情」と表現したほうが、この内容を的確に表わしています。

こうした愛情は弟の方だけではなく、とても冷淡な兄の方にも向けられています。「父が出てきてなだめる」(ルカ15・28)という表現は、お父さんの愛情が感じられます。「放蕩息子」の物語を、兄の視点に当てて振り返ってみましょう。

これまで父のもとで真面目に働いてきた模範的な兄は、音楽や踊りの音に納得がいきません。彼は何事かと僕に尋ねます。僕は「弟さんがお帰りになりました。無事に弟さんを迎えたので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです」(ルカ15・27)と答えます。食べる物にも困り果て、苦労して帰ってきた弟だけに、温かく迎え入れるのが兄弟というものでしょうが、実際にはとても冷淡でした。

怒り心頭に達した気持ちをお父さんにぶつけていきます。「わたしは長年お父さんに仕え、一度も言いつけに背いたことはありません。…ところが、あなたのあの息子が娼婦どもにあなたの財産をつぎ込んで帰ってくると、彼のためには肥えた子牛を屠られます」(ルカ15・29~30)と語ります。

この中で「あの息子」という言い方は、とても冷淡な響きです。「あの」は原文のギリシア語では「フートス」が使われ、「こいつ」「あいつ」というような蔑視的な響きです。自分の弟であるにもかかわらず、あたかも他人のような、突き放すような言い方です。さらに「娼婦どもにあなたの財産をつぎ込んで」と語りますが、実際にそうであったかは、不透明です。むしろ仮想の中で、兄は弟を裁いているのではないでしょうか。

このように、どんなことがあっても、お父さんは二人の息子も受け入れていきます。お父さんにとって、放蕩に走った弟、とても冷淡で人を裁く兄に失望したり、突き放したくなるでしょう。それでも二人を受け入れるところがお父さんの温かい愛情と言えます。

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