悔い改めるという種 四旬節第3主日(ルカ13・1〜9)

新聞、テレビ、ラジオ、そしてインターネットなどで、いろいろな事件や事故や災害のニュースが報道されます。しかし、時間が経つといつの間にか忘れ、また、新しいニュースを見聞きしていきます。私たちは、自分が当事者か余程その事に関わらない限り何となく他人事のようにそのニュースが流してしまっているのではないでしょうか。

きょうのみことばは、エルサレムで起こった事件や事故を用いてイエス様が人々に【悔い改め】を促す場面です。みことばは、「まさにその時、数人の人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を、彼らの犠牲(いけにえ)に混ざったことを、イエスに告げた。」というところから始まっています。この「まさにその時」とは、どのような時なのでしょう。それはイエス様が人々を回心に導く話をしている時でした。イエス様は、「偽善者たち、あなた方は大地や空の模様を見分けることを知っていながら、どうして、今の時代を見分けることを知らないのか。どうしてあなた方は、何が正しいかを、自分で見極めないのか。」(ルカ12・56〜57)と話されている時でした。

民衆は、イエス様の話に耳を傾けていたのにも関わらず、エルサレムで起こった事件のことを伝えたのです。通常ですと神殿で犠牲を捧げる時には祭司しか神殿に入れなかったのですが、過越祭の時には一般の人々も神殿に入れることができたのでした。その時、この悲惨な事件が起こったのです。そのことに対して人々は、ローマに対して憤慨しイエス様に訴えたのでした。しかし、イエス様は、人々の心の中にある、「自分はその事件に巻き込まれなくてよかった。きっと、亡くなった人は、罪人だからそのような災難にあったのだ」という思いに気づかれたのでしょう。

イエス様は、そのように思う彼らに対して「そのガリラヤ人たちが、そのような災難に遭ったからといって、ほかのすべてのガリラヤ人よりも、罪深い人々だったと思うのか。」と言われます。当時の人々は、事件や事故にあって亡くなった人は、罪人だと思っていたようです。それで、イエス様は、彼らに「罪人だと思うのか」と言われます。私たちも時折、「あの人は、日頃の行いが悪いから『天罰』があったのだ」と言うことがあるでしょうし、または、自分自身も「ああ、私が罪を犯したから、このような目にあったのだ」と自分を責めることもあるのではないでしょうか。そこには、相手や自分自身に対して【裁く】という思いがあるからなのかもしれません。

イエス様は、彼らに「そうではない。あなた方に言っておく。あなた方も悔い改めなければ、みなと同じように滅びる。」と言われます。イエス様は、この事件を用いられ、人々を【悔い改め】へと導かれ、自分は罪人ではない、という彼らの傲慢な心を指摘されます。同じように、「シロアムの塔が倒れ、死んでいったあの18人は、エルサレムに住んでいる他のすべてに人々よりも、咎があったと思うのか。そうではない。あなた方に言っておく。あなた方も悔い改めなければ、みなと同じように滅びる」と言われます。イエス様は、ここでも「あなた方も悔い改めなければ、みなと同じように滅びる」と言われ、これらの災難を用いながら、【悔い改める】ことを何度も人々に伝えます。イエス様は、天候の変化には敏感になっているのに、自分の周りで起こっていることに対しては、気づいていない彼らに注意を呼びかけておられるのです。

そして、イエス様は、「いちじくの木」を用いて「おん父とご自分、そして人々」の関係を喩えで語られます。ぶどう園にいちじくの木を植えた主人(おん父)は、3年経っても実をつけないいちじくの木を切り倒すように、園の番人(イエス様)に伝えます。この主人は、いちじくの木が実をつけるのを楽しみに待ちながら3年間ぶどう園に足を運んでいたのです。しかし、一向にいちじくの木には、実をつける兆しがありません。それで「切り倒しなさい。なぜ、土地を無駄に使っているのか」と番人に伝えたのです。番人は、「今年もう1年、このままにしておいてください。木の周りを掘って、肥料をやってみます。そうすれば、来年は実を結ぶでしょう。」と言います。イエス様は、いちじくの木である私たちと共にいてくださり、愛で満たされ養ってくださいます。それは、私たちが【悔い改め】という【実】をつけるためでした。

番人であるイエス様は「もしそれでもだめならば、切り倒してください」と主人であるおん父に言われます。イエス様は、大切に育てているいちじくの木である私たちを切り倒すということを望まれません。このことは、十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からないのです」(ルカ23・34)と言われたイエス様の言葉を思い起こさせます。イエス様は、最後まで私たちの【悔い改め】を待ち望みながら「いつくしみの愛」を示されます。私たちは、ご自分のすべてを捧げて私たちの【悔い改め】を望まれたイエス様に信頼してお委ねすることができたらいいですね。

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